最近PHP出版から発行された本『憲法主義』(南野森さんと内山奈月さんの共著)は,とてもユニークな本です。



実は,本の作成当時高校3年生であったAKB48の内山奈月さんが,とても憲法好きな方でして,なんとAKB48のコンサートで憲法の条文を暗唱されたのだそうです。



そんな憲法好きな内山奈月さんに,現在九州大学で憲法を教えてらっしゃる南野森(みなみのしげる)先生が,2日間にわたりマン・ツー・マンで憲法の講義を行った内容と,その講義で内山奈月さんが学ばれたエッセンスをまとめた本が,その『憲法主義』なのです。





私がこの『憲法主義』を拝読して感じたことは,非常に優秀な内山奈月さんに対して,南野先生が教えよう・伝えようとされていることのコンストラクトの美しさです。



内山奈月さんは,憲法を暗唱できることからもお分かりいただけるように,暗記力抜群で,非常に勉強熱心な方です。憲法上規定されている国会各議員の定数や,選挙制度についても,即答で的確な回答をされています。



でも,当時は高校3年生であった内山奈月さんが学ばれていることは,まだまだ「紙に書かれた活字としての憲法」の側面でありまして,大学で学ぶような「活字としての憲法に,社会の変化に照らした意味を与えていく」という作用ではないのです(それが,高校生までの「学び」と,大学生の「学び」との違いであります)。



その内山奈月さんに,講義当時は「AKB48は48人じゃないことを知らなかった」と言われる南野先生が,私達はいかにすれば,紙の上の活字としての憲法に,時代の変化と社会の願いを投影させた意味を与えていけるのか,という観点から,憲法の理念,憲法のエッセンスを伝えていかれたのです。



その南野先生の講義を通じて,内山奈月さんは,少しずつ憲法に意味を与えることができるようになっていきます。そのプロセスが,まるで魔法の使い方を教わっているように感じました。






本では,南野先生の講義は5回に分けて行われ,各講義後には内山奈月さんによる講義で学んだことについてのレポートが添付されています(その内容も秀逸です)。



講義の詳しい内容は本をお読みいただければと思うのですが,お二人のやり取りを拝読して,私なりに感じたエッセンスを,読書感想文として以下に書かせていただければと思います。



第1回講義は「憲法とは何か?」です。憲法とは,「この世には完全な人はいないのだ」という,とても悲しい現実に長い歴史を経た結果気付いた人類が,それでも社会をより良い姿にしたいと考えて編み出した知恵です。



人は完全ではないのですから,この社会の運営について権限を有する人がその権限を濫用しないように,人が誰も反することはできない最高法規としての憲法を定めたのです。



第2回講義は「人権と立憲主義」です。この世には完全な人はいないのですから,社会は1人の人が決めるのではなく,構成員の多数決により運営せざるをえません。



でも,その多数意見を構成している人も不完全な存在です。人が多数決で少数派の人々の人権を侵害しないように,憲法は定められました。それはいわば,「社会には多数決では決めることができないことがある」ということを意味しています。



ただそれは,国家権力の行使(法律の制定や行政処分)を念頭に置いた「多数決」でありまして,AKB48の「恋愛禁止」は,決して憲法違反にはならないのです。



第3回講義は「国民主権と選挙」です。最近最高裁でも重要な判断が出されている議員定数不均衡の問題は,元々は1人1人が平等に1票を与えられている選挙において,定員数と人口数との比率から,その票数ではなく1票の価値に差が生じている,という問題です。



それは,いわば社会の変化(人口の流動)が生み出した社会事象を憲法の観点からどう解決するか,という問題です。新しい問題を解決するために,紙に書かれた活字としての憲法に,意味を与える必要があるのです。



第4回講義は「内閣と違憲審査制」です。憲法が「社会には多数決では決められないことがある」という理念を法にしたのだとすれば,その理念を実現する機関(「これは多数決では決めることができないことで憲法違反として無効です」と判断する機関)が必要となります。それが司法権であり,裁判所です。裁判所が,活字としての憲法に意味を与えていくのです。



最後の第5回講義は「憲法の変化と未来」です。集団的自衛権の行使についての内閣による憲法解釈の変更も扱われたこの回では,憲法とは静的な存在ではなく,動的なもの,動いていくものである,ということを学びます。



でもその一方で,憲法をどのように動かしてもいい,どのような意味を与えてもいい,というわけではないのです。



憲法が「人は完全ではない」という,とても悲しい現実を前提に制定されている以上,その変化(意味の与え方)には当然制約があるはずです。



講義で内山奈月さんがされた,「日本とアメリカは同盟国なのだから,アメリカに対する攻撃は日本の自国に対する攻撃と同視できないか」との発言は,とても鋭いものでありまして,とても刺激的な憲法への意味の与え方だと思います。



でも,憲法9条の意味の変更を緩和した形で行うことを容認してしまえば,その結果として9条以外の人権条項の解釈も緩和して行われる可能性を生むのです。



そのような観点からすれば,やはり9条の解釈変更についても,立憲主義の観点から,非常に厳格に判断することこそが,求められているのではないでしょうか。






南野先生の御講義と,とても高校生とは思えない内山奈月さんの発言からは,アカデミックな知的刺激を受けました。きっと,内山奈月さんにとっては,忘れられない2日間になったことと思います。そしてそこで学ばれたことを通して,若い立場から新しい光と意味を,憲法に当ててくださることと思います。