死刑が確定していたいわゆる袴田事件について,3月26日に静岡地裁により再審を開始する決定が出されたことが,大きく報道されています。



袴田事件とは,1966年に静岡県で起きた会社専務一家4名が殺害された上で自宅が放火された事件について,同社の従業員だった袴田さん(当時30歳)が犯人とされ,刑事訴追された事件です。



袴田さんは,捜査段階で自白調書を作られたものの,裁判では一貫して無罪を主張されました。それでも有罪とされ,1968年に静岡地裁が死刑判決を出します。



袴田さんは控訴,さらには上告したものの,1980年に最高裁が上告を棄却して死刑が確定します。



それでも袴田さんは,無実を訴え,裁判のやり直しである再審の請求を行います。第1次再審請求は認められなかったものの,とうとう昨日,第2次再審請求が認められたのです。






実は,この袴田事件は,裁判の経緯からしてとても数奇なものでした。捜査段階で袴田さんは自らの犯行を自白した,とされ,自白の内容を記した自白調書が45通裁判では証拠として提出されたものの,第一審の静岡地裁はその内の44通について,違法な取り調べの結果自白がされたものであるとして任意性を否定していたのです。



この袴田事件だけでなく,最近でも足利事件や東電OL殺人事件などで,再審無罪が認められています。それは,近時におけるDNA鑑定の発達など,科学技術の発達が影響していると言われています。



もちろん,社会環境の変化は,法の解釈・運用に影響を与えます。でも,もともと法律制度は,「この世に完全な人はいないのだ」「人は過ちを犯すものである」という,人類が長い時を経てたどり着いた,とても悲しい事実を前提に構築されています。



そして,刑事裁判の原則・鉄則であるとされる「疑わしきは罰せず」との理念についても,その「人は過ちを犯すものである」という悲しい現実を前提にして,常に厳格な適用が求められるはずです。それは,科学技術の発達を問わず,求められていたはずだと思います。






また,今回の袴田事件再審決定では,有罪の根拠とされた証拠に,捜査機関によるねつ造がされた疑いがある,というとてもショッキングな判断が示されました。



刑事裁判は,検察官・弁護人・裁判官という,いわゆる法曹三者制度により行われます。検察官は検察官の立場から事件に光を当て,弁護人は弁護人の立場から,やはり事件に光を当て,裁判官は中立の立場から,冷静に判断を行うのです。



その法曹三者制度そのものも,やはり「この世には完全な人はいない」という事実を前提にしたものです。この世に完全な人がいないからこそ,人類は,社会で発生した事件について,常に3方向から異なる光を当てた上で,判決が出されるようにしたのです。



それなのに,捜査機関により証拠がねつ造されるなどということが,本当に行われていたのであれば,それが事件に当てられる光を狂わせてしまうことは明白です。そのようなことが本当に行われていたのであれば,まさに悲劇です。






死刑が確定し,50年近く身柄を拘束されていた袴田さんは,刑の執行が停止された結果,釈放されました。死刑囚としては初めてのことです。



その理由を,再審開始を認めた静岡地裁の決定は,「これ以上の勾留は正義に反する」と理由付けています。法はまさに,正義を実現するための手段であり,正義の実現のためには,法は動きを変えるのです。



50年近くの身柄拘束,死刑が確定した後も36年もの時間が経過しています。法律制度によって一度きりの人生を翻弄された袴田さんのお気持ちを考えると,胸が痛みます。



できるだけはやく,やり直しの裁判によって無罪となってほしい。袴田さんが心から笑える日が1日も早く来てほしい。そう願っています。