コロンブス(1451年頃-1506年)は,1492年にアメリカ大陸のバハマ諸島に上陸し,その後もカリブ海や大陸の一部を探検した方ですが,最後までその地域を「アメリカ」ではなく「インド」だと思い込んでいたことで有名ですね。そのため,コロンブスはアメリカ大陸の先住民を「インディオ」と名付けたのです。



そのコロンブスの「勘違い」は,元をたどればその大航海時代の冒険の出発前に遡ることができるのです。



コロンブスは,イタリアのジェノヴァにあった貧しい毛織物業者の家に生まれた,と言われています。



成長したコロンブスは,同市の有力商社に入社し,フランドル地方に向かう途中,海上でポルトガル・カスティリャ戦争にまきこまれたのです。



命からがらポルトガルのリスボンに逃げ延びたコロンブス。そこで彼は,パリ大学の神学者ダイイの『宇宙像』という本に出会い,精読したのです。



その本からヒントを得たコロンブスは,地球を西回りでジパングに行くことを思いついたのです。



ところが,ここに「勘違い」が生じたのです。その神学者ダイイが著書『宇宙像』で引用していたアラブの地理学者によるマイル計算を,コロンブスはイタリアのマイルと勘違いしたのです。



その勘違いが,後に冒険の結果到着したアメリカ大陸のバハマ諸島付近を「インド」であると思い込ませた結果となるのです。



「勘違い」に気付かないコロンブスは,そのバハマ諸島付近をすっかりインドだと思い込み,3隻の船による第1回航海が大成功に終わったと考えます。



そしてコロンブスは,その翌年には何と17隻もの船を引き連れて,再び大航海に出たのです。



ところが,その第2回の航海では,インディオの反乱に遭い,自分に援助をしてくれていたイサベル女王に対して黄金や香辛料を持ち帰るとの約束も果たせませんでした。コロンブスが持ち帰ったのは,その反乱を行ったインディオだったのです。



女王の怒りをかったコロンブス。名誉挽回をかけて後2回航海に出た彼でしたが,それもめぼしい成果をあげることはできなかったのです。



マイルの「勘違い」から,とうとう最後までアメリカ大陸をインドであると思い,先住民を「インドの人(インディアン)」だと考えたコロンブス。その結果,せっかくアメリカ大陸に白人として初めて到達した栄誉を手にしながら,そのアメリカ大陸がアジアとは別の大陸だとアメリゴ(アメリカ)・ヴェスプッチが後に発見したことにちなみ,アメリカ大陸は「コロンブス大陸」ではなく,「アメリカ大陸」と呼ばれるようになったのでした。






日常生活のちょっとした「勘違い」「思い込み」が,後に予想しなかったような重大な結果をもたらしてしまうこと。それは私達の日常生活にも決して無縁ではないはずです。コロンブスのエピソードは,「当たり前だと思っていることであればあるほど,異なる視点から,違う角度から光を当ててもう一度考えてみること」の大切さを現代を生きる私達にも,教えてくれているように思います。



でも実は,このコロンブスの「勘違い」のエピソードは,もう一つおまけがあるのです。



コロンブスによるアメリカ大陸の発見をきっかけとして,スペインがアメリカ大陸に進出。当時栄えていた二つの文明(メキシコ高原のアステカ文明とアンデス地方のインカ文明)が滅びる運命となります。



その二つの文明の担い手であった人々こそ,まさにコロンブスが「インディオ」と呼んだ人々でありました。そして実は,その人々は元々,ベーリング海峡がまだアジアと陸続きであったはるか昔の古い時代に,アジア大陸からアメリカ大陸へと渡ったとされる,モンゴロイド系の人種だったのです。つまり,まさに彼らは「インドから来た人々」インディアンだったのです。



さて,コロンブスは本当にアメリカ大陸をインドだと「勘違い」していたのでしょうか。それとも,ひょっとすると彼は,人類の歴史に対する深い洞察から,アメリカ大陸の先住民を「インディオ(インドから来た人)」と呼んでいたのでしょうか。



「コロンブスが勘違いをしていた」,という世界中の常識こそが本当は「勘違い」であったのだとしたならば,私達はひょっとすると,アメリカ大陸を「コロンブス大陸」と呼ぶべきなのかもしれませんね。



この世は謎に満ちています。とても面白いお話だと思います。