3月に行われる第86回選抜高校野球大会の21世紀枠に,東京の小山台高校が,都立高校としては初めての出場を決めました。ニュースでは,選手の皆さんを初め,学校関係者の方々の笑顔が印象的でした。
実は,小山台高校野球部には,とても悲しい思い出があるそうです。それは,当時野球部2年生だった市川大輔(ひろすけ)さんが,2006年にエレベーター事故で亡くなったのです。享年16歳だったそうです。
甲子園への出場を決め,記者会見に向かう際,小山台高校野球部の福嶋監督はポケットに市川さんの写真を偲ばせていました。また,市川さんが野球部日誌に書き残した「1日を大切に」という言葉は,今でも小山台野球部の合い言葉となっているそうです。
福嶋監督は,懸命に野球に向き合っていた市川さんを突然の事故で亡くした後,気持ちを前向きにできない日々が続いたそうです。
でも,それでもそんな気持ちを振り絞り,何とか日々を過ごしていた時,とても不思議な出来事が起きたのだそうです。
それは,市川さんが亡くなった事故直後に行われた11月の練習試合での出来事でした。小山台高校で行われたその練習試合で指揮を執っていた福嶋監督の左膝に,赤とんぼがとまったのです。
全く飛び立とうとしないその赤とんぼに,福嶋監督は「大輔か?」と問いかけました。すると,その赤とんぼは,今度は福嶋監督の指にとまったのです。
そして,とても不思議なことに,その赤とんぼは,それからも度々小山台高校を訪れるようになったのだそうです。
愛する人が亡くなった時,その人の姿を見た,声を聞いたなどの,とても不思議な出来事があった,という話は,よく耳にしますね。幽霊やお化けのような民話もその1つなのでしょう。
私は学生の頃から,「歴史」として語られる権力争いの話がとても嫌いでした。その一方で,いわゆる民俗学に登場する,懸命に人生を生きた人々の思いが,その人々の亡き後も語り継がれる姿を見ることが,とても好きだったのです。
デンマークの作家キム・フォップス・オーカーソンさんの絵本に,『おじいちゃんがおばけになったわけ』(あすなろ書房,2005年)という作品があります。
その絵本は,主人公の幼い男の子であるエリックが,大好きだったおじいさんを亡くして泣き暮らすシーンから始まります。
でも,そんなエリックの元に,その亡くなったはずのおじいさんが現れたのです。
エリックはとても驚いて,おじいさんに聞きました。「なにしてるの?。死んだんじゃなかったの?。」
すると,おじいさんは答えたのです。「この世に忘れ物があると,人はおばけになるのさ」
でもおじいさんは,さらに続けて言いました。「でも,自分は何を忘れたのか,分からないんだ」
エリックは,そんなことは気にせず,大好きなおじいさんとの生活を目一杯楽しみます。
そんな,いつまでも続いてほしい,とても楽しい時の中,おじいさんは突然,「忘れ物を思い出した」と言ったのです。
そしておじいさんは続けて,「わしは,エリック,おまえにさようならを言うのを,忘れていたんだ」
絵本では続けて,おじいさんがエリックに,自分がいなくなった後も行儀良くしないといけないということ,おじいさんのことを時々思い出してほしいこと,そしておじいさんはエリックのことを忘れないことを伝えます。そして,エリックにさようならを言ったおじいさんは,天国に帰って行ったのでした。
エリックが見たおじいさんは,本当に天国から戻って来たおじいさんだったのでしょうか。それとも,大好きだったおじいさんを亡くして泣き暮らしていたエリックの心が生み出した幻だったのでしょうか。
赤とんぼとおじいさん。私がこれらのお話に心を揺さぶられるのは,そのお話そのものの素晴らしさに加えて,そこには,愛する人にもう一度会いたいという,この世に残された人々の思いが投影されているからなのだと思います。