『アンネの日記』で知られるアンネ・フランクは,1929年6月12日にドイツ系ユダヤ人として,ドイツで生まれました。



その後,ナチスの台頭によりオランダのアムステルダムに家族で移住。でも,ドイツによるオランダが占領され,ユダヤ人狩りが行われるようになり,やむなく隠れ家で潜行生活を送ります。



2年に及んだ潜行生活の間,『アンネの日記』を綴りながら,不自由でも精一杯生きていたアンネでしたが,1944年8月4日にゲシュタポに発見され,強制収容所に送られます。



不衛生な環境で病んだアンネは,第二次世界大戦終結の半年前,1945年3月にチフスを罹患し,亡くなったのです。15歳でした。



戦後,家族で唯一生き残った父親は,アンネの日記が残されていたことを知ります。父は,その日記に綴られていた,アンネの「戦争のない平和な世界になってほしい」との願いを世界中に伝えるために,日記の出版を決めたのです。





そんなアンネが,生前「リタ」という名前の少女が主人公の童話を書いていたことを,ご存じでしょうか。



アンネが残した物語は,次のようなものです。リタと友人の二人は,フルーツパイを手に持って街を歩いていました。



街角にあるパン屋の前を二人が通ると,小さな女の子がショーウィンドウの中に飾られているパンやケーキを,とてもうらやましそうにのぞいていたのです。



リタは,その少女に「このフルーツパイをあげましょうか」と声をかけます。



そんなリタに対して,リタの友人は「あなたの分がなくなるから,やめなさい」と言いました。



でも,リタはその少女にパイを手渡したのです。



少女は,とてもおいしそうにパイを一口食べました。すると今度は,そのそばで様子を見ていたアンネに,「あなたも食べない?」と言いながら,パイの残りを差し出したのです。



アンネは,にっこりと笑ってパイを受け取りました。そして心の中に,とても温かいものを感じたのです。






この物語の最後をアンネは,「このフルーツパイで一番いい思いをしたのは,一体誰だと思いますか?。リタの友人?。私?。それとも小さな女の子でしょうか。



いいえ,私はリタだと思うのです。」



この残された童話で,アンネは「パイを全部あげたリタが一番いい思いをした」と書いています。



1つしかないフルーツパイ。そのパイは,人々に分かちあわれ,その結果それを渡した人の心の優しさが,人から人へと伝わっていったのです。



アンネは,そのような思いから,少女にパイをプレゼントしたリタが,一番いい思いをした,一番大きな心の優しさを,幸せを得た,と書いたのです。



アンネはそのことについて,「分かちあうことによって,私達はすべて,より豊かになるのです」と書き残しています。



いつ終わるか分からない第二次世界大戦。そしていつナチスに見つかってしまい,今の生活を奪われるのか,という恐怖。



アンネは,幼い自分の力ではどうしようもない時代の波の中で,それでも「人は分かちあうことによって,より豊かになれるはずではないでしょうか」というメッセージを残したのです。



エゴをむき出しにして奪い合うのではなく,誰もが心の中に持っている優しさを別の1人の人に渡してあげるだけでいい。それだけで世界は平和になるのではないでしょうか。人同士が殺し合う戦争をする意味が,一体どこにあるのでしょうか。



悲劇的な時代の中で,たった一度きりの人生をわずか15年という短い時しか生きることができなかったアンネが懸命に伝えようとしたメッセージを,アンネが生きたかくても生きることができなかった後世を生きている私達は,受けとめているのでしょうか。



アンネが残した日記と童話,さらにはそこに込められた思いを大切にしたい。もう二度とアンネのような少女を生んではいけない。それが,天国で笑っているだろうアンネに対する,せめてもの人類の回答なのではないかと思います。