マリオネット(操り人形)は,国境を越えて世界中で人気です。子供の頃,ゆれながらユーモラスに動く人形の姿に,心を弾ませた方も多いのではないでしょうか。童話『ピノキオ』の主人公ピノキオも,マリオネットでしたね。






実は,そのマリオネットの技術の高さで知られている国があります。チェコです。



その首都であるプラハには「国立マリオネット劇場」があり,モーツアルトが1787年にプラハで上演した作品『ドン・ジョヴァンニ』のマリオネット劇は,1991年以来5000回を越えるロングランとなっています。今やプラハ名物の一つとなっているのです。



そのマリオネット劇『ドン・ジョヴァンニ』をはじめとするプラハでのマリオネット劇のクオリティの高さと奥深さは,一般に抱かれているイメージを遙かに超えたものと言われています。



ある旅行雑誌には,「そのクオリティの高さと奥深さは,私たちがこれまでに知っている人形劇の世界をはるかに凌駕するものだ。人形遣いによって命を吹き込まれた人形の動きと情感の豊かさに驚くばかりだ。」と評価されているのです。





では,なぜチェコでそれほどまでにマリオネットが進化したのか,と申しますと,それには理由があるのです。それは,17~19世紀のハプスブルク家による統治時代に,市民がチェコ語の使用の使用が禁止されていたことに関係があるのです。



当時,市民は唯一,マリオネット劇でのみ,チェコ語を使うことが許されていたのです。人々は,人形が語る言葉を通じて,母国語を受け継ぎ,守り抜いたのです。



そんな,チェコ人のアイデンティティの根源である言葉を受け継いだ存在であるからこそ,チェコ人の方々のマリオネットに対する思いは強く,だからこそ,現代に至っても,その技術は発展を続けているのです。





チェコの首都であるプラハの中央部に位置するのが,プラハ城です。世界で最も大きな城の一つとされている名城です。








そんなプラハ城を日々目にしながら育ったのが,作家のカフカです。『変身』の著者として知られる世界的な文豪ですね。代表作の一つである『城』は,プラハ城をイメージして作られたと言われています。



そのカフカの代表作に,『審判』があります。平凡なサラリーマンである主人公が,ある日突然裁判を受けることになるというお話です。でも,その主人公は,なぜ自分が裁判に巻き込まれたのか,そして何の裁判なのか自体も,全く分からないのです。



そして,主人公は自らが事態を把握できない状況にゆり動かされ,誰も助けてくれず,そのまま処刑の日を迎えるのです。



カフカは,その作品群において,「不条理」を表現したと評価されています。「不条理」には「不調和」との意味もあり,それは「ゆれ」の意味をも包含する言葉です。



ただ,カフカがその作品群で「ゆれ」を表現した,ということは,逆を申すと,「ゆれるものが存在することに対する,ゆれないものの存在」をも描こうとしたのではないか,という気がするのです。



そして,そんな不条理を描いたとされる『審判』には,次の文章が登場するのです。



「正義の女神はじっとしていなくちゃなりません。さもないと秤がゆれて,正しい判決ができなくなってしまいますよ」(カフカ『審判』(岩波文庫,1966年)213頁)



カフカは,18歳でプラハ大学に入学し,法律を学んだ方です。そして法律とは,人々が社会で正義を実現したいとの思いを込めて制定するものであります。そしてその正義とは,変化し続けながら法律に与えられる意味そのものではなく,その意味を促し,支える社会的基盤としての因子なのだと思います。



どんな時代でも決して動かずに市民の姿を見守ってきたプラハ城と,そのプラハ城を目にしながら育ったカフカ。そのカフカが『審判』で正義の女神を通して人々に伝えたかったもの。



それはきっと,ハプスブルク家による統治下でも,マリオネット人形を使いチェコの言葉を失わなかった人々の,その強い気持ちと決して動かすことができなかった凜とした姿なのかもしれません。



「ゆれるもの」と「決してゆれてはいけないもの」。国際政治の中で揺れ続けた母国の姿と,その中でも人々が守り抜いたものを目にしながら育ったカフカは,強い思いさえあれば,社会はどんな困難をも乗り越えていける,強い思いを動かしてはならない,そんなメッセージを後世に伝えたかったのではないでしょうか。