司馬遼太郎さん(1923-1996年)は,申すまでもなく「司馬史観」と評される歴史認識と分かりやすい文章で,歴史上の人物と出来事を,私達に物語として伝えてくださった方ですね。「坂の上の雲」や「龍馬がゆく」などを愛読された方も多いのではないでしょうか。



会社の経営者の方々のインタビューで,よく司馬遼太郎さんの著書を読まれている話を目にすることが多いのも,歴史的な転換期に,歴史上の人物はどのようにして社会を導いていったのかについて,多くを学べるからなのだと思っています。



私自身の経験としても,実は大学から大学院に進学することが決まった春休みに,初めて「龍馬がゆく」を読んだのですが,その中で主人公の坂本龍馬が海上取引を行っている過程で生じた外国船との船の事故を,国際法を用いて解決しようとしたことを知った時のことを,よく覚えています。



実は私は,大学院で国際法を専攻することが決まっていたのですが,その自分がこれから専門的に学ぼうとしている国際法を,日本で初めて本格的に用いて,生じた国際紛争を解決しようとした方が坂本龍馬だったのだな,と知り,とても感銘を受けたのです。







そんな司馬遼太郎さんが,ご自身の歴史観について述べられた作品があります。「歴史の中の日常」という作品です(司馬遼太郎『手堀り日本史』(文春文庫,1990年)43頁)。



その「歴史の中の日常」で,司馬遼太郎さんは,史料から歴史を見るプロセスについて,次のように述べられています(同書53頁)。



「史料というのはトランプのカードのようなもので,カードが勝負を語るものではないように,史料自体は何も真実を語るものではない。決してありません。



しかし,このファクトをできるだけ多く集めなければ,真実が出てこない。できるだけたくさんのファクトを机の上に並べて,ジーッと見ていると,ファクトからの刺激で立ち上ってくる気体のようなもの,それが真実だとおもいます。」



そして司馬遼太郎さんは,それに続けて,二宮金次郎についてのエピソードを語ったのです。



「これは海音寺(潮五郎)さんが随筆に書いておられて,たいへん面白かったのですが,戦後,二宮尊徳は泥棒なり,という説を立てた人がいたそうです。



なぜかと申しますと,二宮尊徳は薪を背負って本を読んでいますね。そこで二つのファクトが考えられる。



彼は極貧なり,というファクトがひとつ。彼は薪を背負っている,というファクトがひとつ。



この二つのファクトだけをつないでみると,その薪はどこからとってきたんだ,という疑問が出る。極貧だから山をもっているはずがない。だから泥棒だ,という真実が引き出されてくるわけです。



しかし,そこにもうひとつのファクトを入れてみればどうでしょう。それは,どこの村にも入会山(いりあいやま)というのがあるということです。農村出身の人なら誰でも知っているこのファクトを,もうひとつ入れてみなければならないので,そうすると二宮尊徳はやっとふつうの人になるのです。



ファクトとトゥルーのかね合いには,厄介な,非常にむずかしい問題が多くあって,それがまた,ひとつひとつのケースで変わってくるんですね。」




法律実務家になりますと,過去に起きた事実を,裁判という場で証拠から認定する,という「事実認定」のプロセスがいかに難しいかを,日々感じるのです。



一方当事者から提出された証拠があり,その当事者はその証拠から「○○」という事実が認定できると主張しています。



でも,その証拠にもう一方の当事者から別な光を当てることで,「○○」という事実が本当にあったのかな,と思わせる事態となりますし,逆にその証拠から「●●」という逆の事実があった,という認定がされる場合もあるのです。



もちろん私達は完全な存在ではありませんので,どんな証拠をもってしても,過去に生じた事実を完全に法廷で再現することなどできはしないのです。



でも,その不完全な私達が,私達の社会で発生した紛争を適切に解決するために,少しでも真実に近づきたいと考えて,編み出した知恵が法曹三者制度である,ということになります。



社会で発生した事件に対して,一方当事者から光を当てるだけでなく,もう一方の当事者からも,さらには判断権者である裁判所からも光を当てて,必ず三方向から光を当てなければ,証拠を評価してはならない,という制度が法曹三者制度です。



それは,人は完全ではないのだから,証拠の一方的な評価では,必ず過ちが生じるのだ,という趣旨の制度でもあるのです。司馬遼太郎さんが挙げられた二宮尊徳のエピソードは,その趣旨と理念に共通したものがあるように感じました。