ご好評をいただいております「頑張れ!司法試験受験生シリーズ」も,今回の平成21年度民事系第2問(民法・会社法)で,平成18年度から21年度までの論文式試験問題を扱い終えたことになります。次回以降は平成22年度に進んでまいる予定ですので,よろしくお願いいたします。



さて,上でも述べましたように,今回の「頑張れ!司法試験受験生」は平成21年度の論文式試験民事系第2問(民法・会社法)を取り上げます。題材としてみなさんと一緒に検討したいと思っていますのは,一番最初の問題である[設問1]です。具体的に申しますと,売買契約について,契約両当事者間における書面上の表示と,それぞれの当事者が思っていたところ,考えていたところの契約目的物が異なっていた場合に,売買契約は何を目的物として成立するか,という問題なのです。



司法試験平成21年度論文式試験民事系第2問(民法・会社法)



事案を検討しますと,XA間の売買契約の注文書注文請書の誤記が売買契約の効力にどう影響するのかについて,司法権の担い手としての思考を表現することが求められています。



具体的にはいわゆる錯誤(民法95条「意思表示は,法律行為の要素に錯誤があったときは,無効 とする。ただし,表意者に重大な過失があったときは,表意者は,自らその無効を主張 することができない。」)の成否も含めた検討が必要です。






私が以前台湾の裁判官とお話しをした際に,「裁判官の目から見て,良い弁護士とはどのような弁護士でしょうか」と質問をしたことがあります。



その台湾の裁判官は,とても印象的な回答をしてくださいました。「刑事事件では,精一杯被告人の権利主張を行う弁護士がいい弁護士だと思う。それに対して民事事件では,『紛争を解決しようとする弁護士』がいい弁護士だと思う。」と言われたのです。



司法試験は,その名のとおり「司法」試験,つまり司法権の担い手を選ぶ試験です。とすると,その論文式試験において表現が求められている思考も,「この人ならば司法権の担い手としてふさわしい」との評価がされる思考であり,答案上の表示としては法の解釈論が表現されているけれども,やはり大切なことは,その背後にある司法権の担い手としての思考の部分なのだと思います。




錯誤の問題といいますと,教科書における典型論点として「動機の錯誤」がありますね。この問題も,短答式試験の解答としての知識として考えますと「判例は動機の錯誤を民法95条の錯誤に含めて解釈しています。ただしそれは,その動機が取引相手に表示されていた場合に限ります。」というものになります。



それに対して,論文式試験ではそのような「知識・正解」を前提にして,その問題だけでなく,今後生じるであろう新しい問題も法律を使って解決することができる,という思考を表現することが求められていることになります。



さらに申すと,その思考とは,上で申した台湾の裁判官の言葉を前提にしますと,単なる思考だけでなく,「司法権の担い手にふさわしい,問題を解決しようという姿勢」の現れた思考が望ましいということになるのでしょう。



動機の錯誤で申しますと,①民法95条の趣旨は,当事者の内心における効果意思と表示との間に齟齬がある場合に,当事者を救済することにある,②動機に錯誤がある場合は,当事者の内心における効果意思と表示との間に齟齬は存在せず,その効果意思の発生プロセスに瑕疵があるにすぎない,③ただ,当事者の救済の要請は同じく存在するし,動機の錯誤と内心における効果意思の不存在の両者の区別の評価には微妙なものがあり,動機の錯誤も民法95条の錯誤に含める必要性は認められる,④ただし,動機はあくまでも表示者の心の問題であるので,相手方当事者保護の要請から,動機が相手方に表示された場合にのみ,民法95条による主張が認められるべきである,という思考を表現することが論文式試験では求められていることになります。



上の平成21年度の問題では,同じ錯誤でも動機の錯誤よりも,むしろ共通錯誤がポイントとなりますが,その場合も①民法95条の趣旨,②本問では当事者のいずれもが,内心における効果意思と表示との間に齟齬が生じていること,③民法95条の趣旨が当事者の保護,救済にあるとすれば,両当事者の表示に錯誤が存在していたとしても,内心においては一致している場合には,錯誤無効の主張を認めるのではなく,その一致している内心の点において契約が成立した,と評価することが,この問題の解決としてはふさわしいこと,などを思考として表現していくことが求められているように思います。



いずれにせよ,大切なことは「司法権の担い手としての思考」を丁寧に答案上に表現することです。そこで試験委員が見ようとしているのは,「このような思考をする人なら,今後生じてくるであろう新しい問題も法を使って解決していってくれるだろう。」という点にあるからです。






今日は最後に,最近目にした,錯誤についてのとても面白いお話をご紹介して,終わりとさせていただきます。受験生の皆さん,頑張ってください(小西國友『現代社会と法―人と法とのかかわり』(三省堂,第2版,2009年)130頁より)。



「表示の錯誤は法学の領域においてだけでなく日常生活においてもしばしば問題になる。そして,時には次のようなきわめて悲劇的な実話もある。



夏の暑い日に,あるサラリーマンが上司に『課長,今日は暑いですねえ。夏物の背広でも暑いでしょう』と言おうとしたところ,まちがって,『課長,今日は暑いですねえ。安物の背広でも暑いでしょう。』と言ってしまったのである。



これは法学の領域の問題ではないから無効や取消が論じられる余地はないけれども,そのサラリーマンは家に帰って『これで俺の出世の芽はなくなったなあ』と嘆いたという。」