私は岡山大学法科大学院で「人権救済手続法」という講義を担当させていただだいています。



その講義を受講してくださったTさんから,見事今年の司法試験に合格された,という嬉しいメールをいただきました。



さらにTさんは,メールの中で,私が講義でお伝えしたことが,司法試験合格のためにどのような役割をしたのかを,とても詳しく伝えてくださいました。



その内容は,これから司法試験を受けようとされている後進の方々に,とても役に立つものではないかと思い,Tさんのご了解をいただき,このブログでも掲載させていただくことにしました。



これから法科大学院に進学される方,残念ながら今年は合格に至らなかったけれども,もう一度頑張ろうと思われている方など,多くの方にお読みいただければと思います。



(以下,Tさんからいただいたメールです)



先生には数少ない(講義回数)ですが,人権救済法の講義を拝聴させていただき誠にありがとうございました。



「人権救済法」という授業の表題ですが,私は先生の授業から,「歴史家と預言者としての法律家」を司法権が求めているということを強く認識させていただくことができました。



今回の司法試験は例年通り,知識を求めている問題がありましたが,中には未知の問題,いわゆる現場思考の問題も多数ありました。



そのような未知の問題に接したときは,「歴史家」として未知の問題であることを認識し,「預言者」として新たな解決を示すことができたように思えます。



「歴史家」としても「預言者」としても,その両方の能力が司法試験の担い手として必要不可欠であることは言うまでもないです。



しかし,こと司法試験の論文問題に関しては「預言者」としての能力が強く試させているものでしょうし,短答と論文の配点割合から考えても,司法試験において後者の能力を備えていることがより要求されていると考えます。



このような意識が先生の指導のおかげで明確にもつことができましたので,未知の問題に接したときも決して焦ることなく,「今までの歴史は~~であったが、私は預言者として~~という道を示す」というふうに解決を提示することができました。



その結果,(1度目の受験で)見事合格を勝ち取ることに至りました(実際,私の短答の成績は足切り点ギリギリで,論文で大逆転をすることができました。)



感謝の気持ちを伝えたいあまり,長々と駄文をこしらえてしまい失礼しました。



(Tさんからいただいたメールは以上です)



Tさん,ご丁寧なメールをありがとうございました。



いただいたメールへの返信ではありませんが,私からTさんにお伝えしたいことがあります。それは,これまでの苦しみと今の喜びを忘れないでください,ということです。



なぜならば,これからはTさんご自身が,法律家になり,この社会で懸命に生きておられる方々のその人生に直接関わられて,その方々の人生に喜びを与える役割を担われることになります。司法試験受験の過程で味わった思いは,よい法律家になるための基礎となるように思うからです。



ぜひ今後も努力を継続されて,社会が求める法律家像に一歩ずつ進んでいっていただきたいと思います。



改めて,Tさん,合格おめでとうございます。