英語で月を表しますと,9月は「September」,10月は「October」,11月は「November」,12月は「December」ですね。



でも,実は9月の「September」は,「7番目の月」という意味の言葉なのです。英語のsevenは,ラテン語で「7」を意味する「septem(セプテム)」に由来した言葉です。



同じように,実は10月の「October」は,「8番目の月」という意味の言葉です。海の生き物であるタコを英語で「octopus」と言いますが,その言葉も「8本の足」を意味する「octo+pus」から来たものです(音楽の「オクターブ」(octave)も,「8度の音程」という意味の言葉なのです)。



さらに,11月の「November」は,「9番目の月」という意味の言葉です。それは,ラテン語で「9」を意味する「novem(ノウェム)」から来た言葉なのです。



そして,12月の「December」も,実は「10番目の月」という意味の言葉なのです。「dec」とは「10」を意味する言葉なのです。






そうなると当然疑問がわきますね。なぜ上の4つの月の英語での呼び方は,それぞれ2つずつずれているのでしょうか。



それは実は,ローマ時代の将軍であるジュリアス・シーザーに原因があるのです。



英語の月の呼び名は,上で見ましたように古代ローマ暦に起源があります。古代ローマ暦と,ラテン語に起源があります。



そしてジュリアス・シーザーは,その古代ローマ暦を決める際に,自らの名前である「Julius Caesar」に由来する呼び名「July」を7月の呼び方にし,また彼の姪の息子である初代ローマ皇帝オーガスタス(Augustus Caesar)の名前に由来する「August」を8月の呼び名にしたのです。



いわば時の権力者による「権力の濫用の痕跡」が,現代まで伝わっていることになりますね。







以前にもご紹介した,民事訴訟法の研究の第一人者で最近亡くなられた三ケ月章先生が,これから法律を学ぼうとされている人を念頭においた『法学入門』(弘文堂,1982年)という本を書かれています。



その本の106-107頁で三ケ月先生は,以下のように言われているのです。



「たしかに,法というものは,規範とその規範を運用する機構・手続が備わってはじめてその役割を十全に果たすことができるものであるが,この機構・手続を動かすのは,しょせんその社会の成員たる人間である。



かくて,どのような壮麗な規範が存在されたとしても,またどのような強力で整備された法運用の仕組みがもうけられたとしても,それを動かす人間が,法の理念をわきまえることなくひたすら自己の利益や権力者の思惑に引きずられて法を運用するだけだとしたら,決して社会正義の実現という法の目的を達することはできないはずである。



逆に,もしこの法を動かす人間が,法の理念・使命を自覚し,それを実現しようとする使命感と情熱をもっているならば,かなり時代遅れとなった法規範を操るとしても,また,どのような貧弱な施設の中でそれが行われるとしても,法が正義の実現に奉仕する度合いは高まり,ひいてその社会での法に対する信頼も深められていくことになる。



その意味においては,法を動かす人間がどのような者であるかということは,実は,法の最も切実な関心事であるというべきである。」



三ケ月先生のこの文章は,「人の支配する社会」に対する「法の支配する社会」の大切さを,これから法律を学ぼうとされる方に伝えるためのものです。



人は完全ではありません。私たちは,それを認識した上で,それでもより良い社会を作るために,権力の濫用がされることがないように,法を作り,それを動かしていくのです。



October(10月,8番目の月)についてのジュリアス・シーザーのエピソードを聞くと,そんな三ケ月先生のメッセージの重みを,改めて感じるのです。