17世紀に活躍された,物理学者のニュートンが成し遂げた偉業の一つに,太陽光の分析がありました。
ニュートンは,太陽光をプリズムの作用により,7色に分解してみたのです。
それは,太陽光の謎を解き明かすだけでなく,大空にかかる虹のメカニズムをも解き明かすものとなったのでした。
ところが,このニュートンの偉業に対して,クレームをつけた方がいらっしゃいます。19世紀イギリスの詩人キーツです。
キーツは,自然と人間の美しさを表現する作品を多く残された方ですが,そのキーツは,自分が愛し,自らのイマジネーションの源であった虹を,ニュートンが分光学的現象として科学的に説明してしまったことに,憤りを感じたのです。
ニュートンが虹のメカニズムを解体したことについて,キースは言いました。「ニュートンは虹が持っていた詩性を解体してしまった。」
ところが,そんな詩人のニースによる憤りを,やんわりとおさめようとする科学者の方がいらっしゃいます。『利己的な遺伝子』で有名な,イギリスの進化論者のリチャード・ドーキンスです。
ドーキンスは,その著書『虹の解体』(早川書房)で次のように言ったのです。「虹を解体することにより,私達は夜空に輝く星の光を分析し,それぞれの星の経てきた時間や地球からの距離を知ることができるようになった。
そうした知見は,新たな創造の源になりはしないだろうか。科学は詩を解体するものではない。むしろ新しい詩を創り出すものである。」
先日の記事でも,岡山大学の1年生の方からいただいたメールで,「法の解釈とは個々が有する主観的な価値観が法に反映されることで,その主観的な存在が集まり,客観的な意味になるのではないか」と書かれていたお話をいたしました。
また,以前から何度も御紹介している,アメリカでオバマが初めて黒人大統領として選ばれると言われていた2008年の大統領選挙でのエピソードに,ある小さな町の散髪屋さんのお話がありましたね。
その方は,「この国は虹のようなものだ。それぞれが違う色をして交わろうとしない。
でも,だからこそ美しいんだ。」
法に今与えられている意味を検討すること。社会が今形作っている姿の意味を検討すること。
それはあたかも,ニュートンが七色の虹を分析したことのようなものかもしれません。
そこに与えられている七色の光は,それぞれがあるべき社会の姿を投影ささんとして,きらきらと輝いています。
そして私達は,その七色の光の源を知ることで,その光を与えた方々の社会への情熱を知ることで,社会の新たな姿と,進むべき道筋を,創り出していくのだと思います。