全国の司法試験受験生の皆さん,勉強頑張っていますか?。もう総まとめの時期でしょうか。



ご好評をいただいている「頑張れ!司法試験受験生シリーズ」ですが,今日は新司法試験平成19年度論文式試験民事系第1問の会社法の問題を取り上げたいと思います。問題文は,以下の法務省のサイトから見ることができます。



新司法試験平成19年度論文式試験民事系第1問







まず検討が求められている問題は,大きく申しますと株式会社で新株を発行する際に,それを決めた取締役会手続において,支配権争いから法律上問題がある場合,その新株発行は無効となるのか,というものです。



この問題は,司法試験を受けられる方でしたら皆さんご存知のとおり,①新株発行が無効とされてしまうことによる不利益(取引安全保護の要請)と,②新株発行が有効とされていまうことによる不利益(会社の所有者である株主の支配権割合の保護の要請)とのいずれを優先するべきか,というものです。



そして,これも皆さんご存知なとおり,新株発行を決めた取締役会決議が無効であったとしても,それが無効であることは外部からは伺い知ることができないことであって,後に無効であることを会社側が主張すると取引の安全を著しく害することから,新株発行は有効である,とするのが判例の立場であります。







そして,ここで受験生の皆さんに考えていただきたいのは,ここまで考えてきた新株発行の有効・無効という問題は,(もちろんそこに上で述べました取引の安全保護か株主保護かを考えるという思考を表現することにはなるのですが)「この問題について判例はどういう立場ですか」という問いにより,短答式試験で見ることもできるものだ,ということです。



それにもかかわらず,論文式試験であえてこの問題を出題した,ということは,その問題を判例の立場で書けるかどうか自体を見たいのではなく,それを前提として,司法権の担い手としての会社法の「動かし方」を表現してほしい,ということです。「新株発行」の問題が,「正解」ではなく「題材」として出題されていることを意識することが大切なのです。



といいますのは,もちろん取引の安全保護の観点からしますと,新株発行を安易に無効としてはならないのですが,司法権がその解釈を取りますと,結果としては取締役会決議に違法があるにもかかわらず,新株発行が有効であるとされ,その結果会社への出資者であり所有者である株主の持分権割合が低下することになります。



そのような事態が容易に生じ,それに対する法的なケアがされていないならば,どうなるでしょうか。その結果,会社法制度への信頼は失われて,出資をして株主になろうとする人が減ることは目に見えていますね。



株式会社制度は,東インド会社を発端として,社会に存在する資本を集約し,その集約された資本を運用することで大規模な経済活動を実現したものです(私が聴いた会社法制度の講義では,「だから司法試験の会社法の問題では,『大規模にする』という問題が出題されるのです」と先生が言われていたことを思い出します)。



そして,現在の資本主義社会の発展は,株式会社制度抜きには考えられませんね。とすると,司法権が会社法制度の解釈として,株式会社への出資をためらわせるような意味を法に与えると,その資本主義社会を停滞の方向へと向かわせる可能性が生じるのです。



とすると,司法権の担い手としても目指すべきところは明らかではないでしょうか。「新株発行」の問題では「有効である」との解釈を採るとした場合,そこで生じる会社法制度への不信を,別の争点における解釈でどう補うか,ということになってくるはずです。



そしてそれができるのであれば,今後の会社法制度への信頼も維持され,その結果今後の資本主義社会の発展も実現できるのだと思うのです。さらに申すと,この平成19年度の会社法の問題でも,その思考・視点を答案で表現することが求められている,ということになりますね。



この平成19年度の会社法の問題では,第一の争点である新株発行の問題を有効とした場合,第二の争点,さらには第三の争点として,ではその有効との解釈の結果会社,さらには株主に損害が生じた場合,その損害を誰に対して,どのような方法で償わせるか,という問題を検討することが求められることになります。



具体的には,会社法所定の取締役の責任追及,さらには民法709条に基づく損害賠償請求の可否を検討しなければなりません。



会社法は,民法と異なり多くの利害関係人が登場します。そして,1つの問題の解釈が,外の利害関係人の問題へと波及することになるのです。



そして,その全ての問題点の解釈が終わった段階で,社会の株式会社制度への信頼が維持されている必要があるのです。さもなければ,株式会社制度そのものが,利用されなくなる可能性があるからです。そしてその結果,資本主義経済が衰退する可能性すらあるのです。



その意味で司法権の担い手には,そのような経済的な予言を法の解釈として投影させる能力が求められることになりますし,その能力を見ようというのが,司法試験の論文式試験である,ということになります。





もう少しで今年も司法試験が行われますね。受験生の皆さん,頑張ってください。