イタリア人であるアントニオ・カッセーゼさんは,1993年に設置された旧ユーゴスラビア国際戦犯法廷(ICTY)において,1993年から1997年まで裁判長を務められた方です。



旧ユーゴスラビア国際戦犯法廷は,1990年のコソボの独立宣言に端を発したユーゴスラビアの内戦と,その紛争内で行われたとされる民族浄化活動について,それにかかわった戦犯を国際法上の手続に則り,かつ国際法に基づき裁くために,1993年の安保理決議に基づいてオランダのハーグに設けられました。


もともと多民族国家であったユーゴスラビアは,「7つの国境,6つの共和国,5つの民族,4つの言語,3つの宗教,2つの文字,1つの国家」と形容される,まさに民族のるつぼでした。第一次世界大戦のきっかけも,バルカン半島におけるサラエボ事件でしたね。



以前の記事「バルタン星人と鬼」でもお話しましたが,ユーゴスラビアは多くの民族が常に衝突する危険を含んだ地域だったわけです(旧ユーゴスラビア国際戦犯法廷につきましては,日本人の判事として関わられていた多谷千香子さんが『民族浄化を裁く―旧ユーゴ戦犯法廷の現場から』(岩波新書,2005年)を書かれていますので,ご関心をお持ちの方はぜひお読みください)。







紛争では,1992年から1994年にかけて,セルビア人の軍事組織,警察などにより,フォチャの虐殺と呼ばれる民族浄化のための大量虐殺が行われました。



フォチャ地域に住むボシュニャク人2704人全てが,殺害もしくは追放され,行方不明となります。



またその後も市民や捕虜の殺害が繰り返された後,1999年1月には,コソボ解放軍によるラチャクの虐殺」と呼ばれる虐殺事件が起こされました。




繰り返される虐殺事件について,国際社会は非難を続けるものの,国連は有効な手段を打ち出せずにいました。そのため,事態打開を図るために,1999年3月から,NATO軍による空爆が行われるに至ったのです(NATOはご存じのとおり,アメリカと旧西側ヨーロッパ諸国による北大西洋条約機構です)。



そして紛争は,このNATO軍による空爆をきっかけとして,コソボにおける平和維持軍の駐留など,沈静化の方向へと向かったのでした。







実は,このNATO軍による空爆は,はたして国際法上許されるものだったのか,という点が,後に大きな問題とされたのです。



まずNATO軍による空爆は,国連安保理決議などの裏付けのないまま行われました。これは,当時の安保理では,ユーゴスラビアと親しい関係にあった中国とロシアが決議に反対していたからなのです。



またNATOは,加盟国の防衛のための組織であるとされていました。でも,ユーゴスラビア紛争では何らNATO加盟国に直接の脅威を与えることがなかったにもかかわらず,NATO軍による空爆が行われたのでした。国連憲章上,武力行使は集団的自衛権もしくは個別的自衛権など,極めて限定された状態でのみ,認められており,その余の武力行使は違法とされているのです。



それに対してNATOは,確かにNATO軍による空爆は,国連安保理による同意のないまま行われたものではあるものの,それは「国際的な人道危機」を救うためのものであって,国連憲章上は許されなくとも,国際慣習法上(一般国際法上)許容されるのだ,という説明を行ったのです。そして,このNATOによる立場を支持する学者・実務家の立場もあります。



ところが,上で述べました元ICTY裁判長のアントニオ・カッセーゼさんは,1999年にヨーロッパの国際法学会誌「European Journal of International Law」において発表した論文で,NATO軍による空爆は,国連憲章上適法とされる理由はない,そのような立場に激しく反対されたのです。



カッセーゼさんがそのように激しいご意見を主張されるのは,簡単に国連憲章上適法な攻撃である,との判断が繰り返されてしまうと,「武力や力による紛争解決ではなく,国際法による紛争解決がされる国際社会を,そして法の支配する国際社会を実現したい」との思いを持ち,そしてそれが実現された国際社会を実際に目にすることなく犠牲となった多くの方々の思いが無になってしまうではないか,と思われたことだと思います。



国連憲章そのものも,実は紙に書かれた活字にすぎませんね。でも,その活字には多くの方の命と思いが込められているのです。カッセーゼさんは,そのことを国際社会としてもっと大切にしてほしい,と思い,上のようなご主張をされたように思います。







でもカッセーゼさんは,実はその論文で,もう一つの可能性について言及しているのです。



カッセーゼさんは,基本的人権に対する侵害が,今日では単なる一国の国内事項ではなく,国際関連事項であること,さらには,基本的人権を保護することは,単なる少数の国家間における相互的な義務であることを超えて,国際社会全体に対する普遍的義務(obligation erga omunes)である可能性を認められて,一国内における民族浄化などの残虐行為について,他国による救済のための手段が国際法上適法とされることがあるだろうと指摘された上で,



「lex lata」(今ある法)の違反行為をきっかけとして,新しい国際法が生まれる可能性があり,それを発見していくことが国際法に関わる法律家に求められていることを示唆して,その論文を締めくくられたのです。



一方では厳格に,でももう一方では生まれくる国際法を促すように,私たちは国際法を動かしていかなければならない。



法は正義を実現するための手段にすぎません。そこに与えられる意味に,正解はないのです。



自分の命を犠牲にしてまでより平和な国際社会にしてほしい,とこの世を去っていかれた方の思いと,今を,さらには未来の国際社会を生きている人々の思い。



その全ての人々の思いを受け止めて,共に国際法と国際社会を動かしていきましょう,いい国際社会にしていきましょう,とカッセーゼさんはおっしゃっているように思います。