1月になりました。司法試験受験生の皆さんは,5月の試験に向けて,そろそろ総仕上げの時期を迎えているのではないでしょうか。体調に気を付けて,頑張ってください。



さて,ご好評いただいている「頑張れ!司法試験受験生シリーズ」ですが,今回から平成19年度の新司法試験論文式試験を題材にして,司法試験の論文式試験で求められていることを考えてまいりたいと思います。



今回取り上げますのは,平成19年度公法系第1問の問題です。憲法の問題ですね。問題文は以下の法務省サイトから見ることができます。



新司法試験平成19年度論文式試験公法系第1問(憲法)






大きく申しますと,「かつて破壊活動を行った宗教団体の信者が,別な宗教団体を創設したが,そこで信じられている教義はかつての団体のそれであった。その新宗教団体の信者が土地を所有している地方公共団体では,土地の使用について法律の規制よりも重い要件を課している。新宗教団体はその条例に定めた要件を満たすことができなかった。



地方公共団体による規制は,①国の定める法律よりも重い要件を課している点で憲法に違反しないか。②新宗教団体とその信者の信教の自由を侵害するものとして宗教の自由を保障した憲法20条に違反しないか。③信者の所有する土地の利用を制限する点において財産権を保障した憲法29条に違反しないか。」というものです。







私はこのシリーズを通して,「司法試験は司法権の担い手を選ぶ試験である。そして司法試験の短答式試験は(条文・判例・通説)という歴史の理解を見るために課される,いわば歴史家としての能力を判定する試験である,



それに対して論文式試験は,その歴史の理解を前提として新しい社会問題を法律を使って解決できるという,いわば預言者としての能力を判定する試験である,というお話をしてまいりました。



そして今回取り上げます憲法の問題は,上記3つの争点(論点)のいずれにおいても,その「司法試験の担い手として求められる思考」を表現することが求められていることになりますし,逆を申すと,そのような観点から考えると「答案にどのような思考を表現すればいいのか」がよくわかる,ということになるのです。1つずつ考えてまいりましょう。



まず最初の争点である,法律では必要とされていない(法律の規定よりも重い)「周辺住民の過半数の同意」という要件を地方公共団体が制定する条例で定めることは許されるか,という点です。



受験生の皆さんなら,「ああこれは徳島市公安条例事件最高裁昭和50年9月10日大法廷判決の問題だな」と思われたと思います。



でも,その徳島市公安条例事件最高裁大法廷判決では,「条例が国の法令に違反するかどうかは,両者の対象事項と規定文言とを対比するのみでなく,それぞれの趣旨,目的,内容及び効果を比較し,両者の間に矛盾抵触があるかどうかによってこれを決しなければならない。」との判示がされた,ということ自体は,「歴史」です。そのことを知っているかどうかは,わざわざ論文式試験を行わなくても,(コンピューターによる採点が早くて簡単に終わる)マークシート式試験である短答式試験で見ることができます。



とすると,逆にいいますと論文式試験では,その歴史を前提にして(それを1つの題材として)「私は司法権の担い手として,この問題だけでなく,これから発生するだろう新しい問題も法を使って解決することができるのです」という能力を表現することが必要となるのです。



このような観点からすると,上掲の論文式試験問題では,展開することが求められている①宗教団体側からの主張→②市側の反論→③あなたの考え,というステップに従って,そのような思考のステップを表現すればいい,ということになりますね。



そして,ここで1つ大切なことなのですが,思考を表現する際にされるとよい工夫は,「この問題を,判例も学説も全くない状態で考えたとすれば,私はどう考えただろう」という風に思考を展開するとよい表現になる,ということです。



この法律と条例も同じです。現行憲法が制定されて,まだこの争点についての判例も学説もない段階で初めて判断をすることが求められた法律家の立場ですと,どう考えるでしょうか。



私なら,おそらく次のように考えたと思います。



①この点につき,憲法94条は,「地方公共団体は,・・法律の範囲内で条例を制定することができる。」と規定しています。「法律の範囲内」ということは,「法律で既に制定されている分野については,地方公共団体は条例で制定することは許されない」と解釈するべきように思えます。これは憲法の文言を形式的に読むと自然に出される解釈です。文言解釈ですね。



②でも,そのように憲法の文言の形式的な側面を重視すると,憲法自身が第八章を設けて,地方自治を保障した趣旨が失われる結果となります(地方自治を憲法自身が保障していることは,現行憲法が明治憲法と異なる特色の1つなのです)。なぜならば,地方公共団体がある条例を制定したとしても,それを好まない国が後で法律を制定すれば,国の一方的な判断によって憲法が地方公共団体に与えた条例制定権を無にしてしまう結果となるからです。憲法が第八章で地方自治を保障し,さらには94条で地方公共団体に条例制定権を保障した趣旨を重視すると①のような解釈を憲法が望んでいないことは明らかでしょう。



とすると,③国の法律による統一的な法規制の要請と,憲法が地方自治を保障しその手段として条例制定権を保障している要請との調和の観点から,憲法94条の「法律の範囲内」の解釈については,国が法律を制定している分野についても,地方公共団体はその法律の趣旨,目的,内容及び効果を比較考慮して,それと矛盾抵触のない限り,独自に条例の規定を設けることを憲法94条は認めている,と解釈するべきだ,となるように思います。これは結果として,上記徳島市公安条例事件最高裁判決と同じ立場となるわけです。



そして,ここで展開した①ないし③の思考は,そのまま上掲の論文式試験で求められている①宗教団体側からの主張→②市側の反論→③あなたの考え,という思考の3つのステップに当てはまることになるのです。






このように,「論文式試験では『司法権の担い手』としての思考を表現することが求められている」ということが把握できれば,逆にそれぞれの争点で前提とすべき「歴史としての存在(上では徳島市公安条例事件最高裁判決)」を前提にして,どのような思考を展開すべきかが分かってくるはずなのです。




上の論文式試験の2つ目の争点である「本件規制は信教の自由に対する制限として憲法20条に違反しないか」という点も,司法権の担い手が初めてこの問題を考えるとすればおそらく,



①規制は信教の自由に対するもので,信教の自由は精神的自由であるのだから,厳格な違憲審査基準で判断するべきではないか→②でも,確かに本件規制は宗教団体に対して課されてはいるものの,その教義やそれに基づく活動を直接規制するものではなく,いわば団体の外形的活動に対して課されているのだから,内容に対する規制のように厳格な合憲性審査基準ではなく,より緩やかな合憲性審査基準でよいのではないか



→③でも,外形的活動に対する規制だ,とされると途端に緩やかな合憲性審査基準でよい,とされてしまうと,信教の自由に対する規制が全て外形的活動に対する規制である,とされれば骨抜きになってしまうのではないか。とすれば,外形的活動に対する違憲審査基準についてはやはり厳格なものを用いるべきである,ただ,今回の問題についてはその厳格な違憲審査基準を用いたとしても,やはり憲法違反ではない,と考えるべきではないか,という思考になるように思います。



そして,ここで展開した①ないし③の思考は,そのまま上掲の論文式試験で求められている①宗教団体側からの主張→②市側の反論→③あなたの考え,という思考の3つのステップに当てはまることになるのです。



3つ目の争点である財産権の問題もそうですね。司法権の担い手として初めてこの問題を考えるとすれば,私は次のように考えると思います。



①本件規制は信者の財産権の行使を制限している。それは財産権に対する(社会への害悪を防止する目的の)消極的規制であって,厳格な審査基準により判断がされるべきではないか→②いや,でも本件規制は,消極的規制というよりはむしろある地域における土地の使用方法を社会公共の観点から規制しようという目的の積極的規制であり,その目的に合理性が認められれば,規制手段が憲法に違反していることが明白である場合にのみ憲法違反となるという明白性の原則により判断がされるべきではないか



→③でも,本件規制はこれまで用いられてきた「消極的規制」の場合でも「積極的規制」の場合でもなく,全く別の審査基準によりその合憲性が審査されるべきではないか,それが最高裁昭和62年4月22日大法廷による森林法違憲判決でも用いられた中間的な審査基準によってその合憲性を判断するべきである,という思考を展開するように思います。




そして,ここで展開した①ないし③の思考は,そのまま上掲の論文式試験で求められている①宗教団体側からの主張→②市側の反論→③あなたの考え,という思考の3つのステップに当てはまることになるのです。






以上のように,司法試験の論文式試験では「司法試験の担い手としての思考」を表現することが求められていること,そしてその思考とは,それぞれの争点における「歴史」を前提として,「この問題を司法権の担い手として初めて考えたら,どんな思考となるだろうか」と考えていくことが,良い思考を表現するためのコツとなります。



そのような観点から,教科書に書かれている主要な問題点をしっかりと「自分自身の思考」を考えながら勉強を積み重ねていくと,合格への早道だと思います。受験生の皆さん,頑張ってください。