ロンドンオリンピックが始まりましたね。今日は,オリンピックを「平等」という観点から触れてみたいと思います。



南アフリカ・オリンピック委員会は,平成24年7月4日,ロンドン五輪同国代表の追加派遣選手を発表しました。その中には,両膝の下がなく義足の陸上選手として知られる,オスカー・ピストリウス(25)が含まれていました。




弁護士作花知志のブログ




ピストリウスは,男子400メートルと同1600メートルリレーに出場する予定です。両膝の下の下を失った選手の五輪出場は初となります。



ピストリウスは,先天的に両足のすねの骨がなく,生後11カ月で膝から下を切断されたそうです。そのため両足が義足となったのですが,運動能力は生まれつき高く,幼い頃からサッカーをはじめ,スポーツ全般で高い才能を発揮されてきたそうなのです。



テニスや水球などは州代表レベル。高校ではラグビー部で活躍されました。そんなピストリウスが,当初はラグビーの怪我のリハビリのために始めた陸上と出会い,その才能を開花させたのです。






ピストリウスは,当初2008年北京五輪を目指していました。でも次にお話する理由により,出場することができなかったのです(同年に開催されたパラリンピックでは3冠となっています)。今回,4年越しの夢を叶えて,晴れてロンドン・オリンピックへの出場という夢を叶えられたことになります。



実は,このカーボン製の義足を装着して走るピストリウスに対しては,反発力で走力を助けているとの見方があります。



そのような見解を支持していた国際陸上競技連盟(IAAF)は,北京オリンピック前の2007年に,「非使用者よりも有利になるバネや車輪など、人工的装置の使用は禁止する」という条項を競技規則に追加したのです。



これに対してピストリウスは,「義足はスターティングブロックが使えず,コーナーでは不安定で減速を余儀なくされる。総合的に見れば有利ではない。」と反論したのです。



ところが,IAAFは2008年1月,北京五輪を含むIAAF主催の国際大会への出場資格はピストリウスにはない,と決定しました。



その決定に対しピストリウスは,「夢の実現のために戦う」と宣言。国際スポーツ仲裁裁判所(CAS)に提訴したのです。






CASは同年5月16日,義足が健常選手より有利とするには証拠が不十分であるとして,IAAFの決定を破棄したのです。そして,将来的に十分な証拠が発見された場合は再検討の余地ありとしたものの,ピストリウスに健常者とのレース出場を認める裁定を下したのでした。



私は,機械工学の専門家ではありませんので,義足の効果については何も分かりません。でも,有利であるとの証明が不十分である以上,そのような効果はないものと扱うべきことは,法律,さらには社会の原則ですね。



私達,人は完全ではないのですから,科学的な証明が十分にできないことを理由として,それを望んでいる人に不利益を課してはならないのです。CASの裁定は当然のものだと思います。



夢に見たオリンピックに出場されるピストリウスは,「障害があるんじゃない。ただ足がないだけだ。」という言葉を残されているそうですよ。



元々陸上は,年齢,人種など関係なく,人々が平等に,横一線にスタートして,その速さを競う競技です。障害をものともしないピストリウスの懸命な走りをロンドン・オリンピックで拝見して,「平等」というステージで競うことができる喜びを,一緒に感じてみたいと思っています。







オリンピックでは,女子柔道が行われますね。オリンピックで柔道競技が採用されたのは,あの1964年の東京オリンピックでのことでしたが,女子柔道が種目として認められたのは比較的最近のことでした。



実は,オリンピックでの女子柔道の実現に生涯をかけた女性がいらしたことは,あまり広く知られていません。アメリカ人の女性で,ラスティ・カノコギさんという方です(小倉孝保『柔の恩人』(小学館,2012年))。



ラスティは,1935年にNYで生まれました。少女時代,家庭の問題から非行に走ります。そして強盗の罪を犯し,施設に収容されるに至ります。



そんなラスティがある日出会ったのが柔道でした。1950年代のことです。自分の力と怒りをコントロールできないでいたラスティは,柔道に熱中します。でも,当時は柔道は男性のスポーツとされていて,女性が行うこと,特に大会に参加することは,認められていませんでした。



そんな中,ラスティは男性のチームメイトに交じり,ある大会に自分が女性であることを隠して参加します。男であると偽って参加し,見事優勝したのです。



ところが,その優勝の試合の後,ラスティが女性であることが分かり,ラスティのメダルは剥奪されてしまうのです。






そのような屈辱を味わったラスティでしたが,その後柔道の習得と,さらには柔道の女性大会の開催に人生を捧げます。その結果,1992年のバルセロナ大会から,女子柔道が正式種目として採用されたのです。ラスティがいなければ,女子柔道がオリンピックに採用されるのは20年は後だっただろう,と言われています。



ラスティは晩年,その功績を称えられ,少女時代に初めて参加した大会,つまり男であると偽って優勝し,それが知られた後でメダルを剥奪された大会から,改めて金メダルを贈られたのです。



その時ラスティは,「50年前のものより,少し重いわ。」とコメントされたそうです。






50年の時を超えてラスティが感じられた少し重たいというその重みは,長い時を女子柔道のために捧げた,その人生の重みの分だったのかもしれませんね。



ラスティは2009年に亡くなられました。でも,その思いを受け継いだ選手の方々が,ロンドン・オリンピックで活躍されるのです。






イギリスは,西側諸国の多くがボイコットした1980年モスクワオリンピックに,国旗ではなく五輪旗を掲げて参加した国です。



オリンピックでは,ついつい国同士のメダルの数を競い合うところがあります。でも,クーベルタンの「オリンピックは参加することに意義がある」との言葉にも現れていますように,オリンピックの最大の目的は,国や国境を越えて,個々のアスリートが全力で競い合い,そこに個々の人間同士の交流と思い出が醸し出されることにあると思います。



私は,そのような観点から,このロンドンオリンピックを観戦してみたいと思っています。