日本全国で桜が満開となっているようですね。見事な花を咲かせた木の辺りは,場所取りも大変なのではないでしょうか。



例えば市営公園の桜の周りである人が花見の場所取りをしていたとします。その場所がぜひともほしいと思う外の花見客が,無理矢理その場所を奪い取ったりすることはできるのでしょうか。



それは法律上はできないことになるのです。もちろん最初に場所を取っていた人もその土地の所有者ではないのですが,民法には「占有権」という権利が認められているからです。所有者ではなく,所有権を有しているのではないけれども,その場所を占有しているという「事実状態」を法律は保護したのです。






民法は占有についての諸規定を設けているのですが,中でも興味深いのが,民法202条という規定です。同条は1項で「占有の訴えは本件の訴えを妨げず,また,本件の訴えは占有の訴えを妨げない。」,2項で「占有の訴えについては,本件に関する理由に基づいて裁判をすることができない。」と規定しています。



民事裁判実務では,民事裁判の対象(「訴訟の対象物」という意味で「訴訟物」といいます)を,所有権と占有権それぞれ別のものと考えています。だから例えば土地の所有権者は,所有権を有すると同時に占有権も有していますので,そのいずれに基づいても民事訴訟を提起することができます。訴訟を起こした原告が,所有権に基づいて訴訟を提起した場合,訴訟物は所有権,占有権に基づいた場合は占有権が訴訟物となります。



ところが,この実務の立場に果敢に挑戦されたのが,若き日の三ケ月章先生(1921年―2010年)でした。三ヶ月先生は,大学教授として民事訴訟法学の研究をされただけでなく,1993年に細川内閣で法務大臣をされ,また1998年から施行されている現在の新しい民事訴訟法の制定過程において中心的な役割を果たされた方です。



三ケ月先生は法律が規定する権利ごとに訴訟物を考える民事実務の立場に対し,「物を引き渡せ」という地位そのものが訴訟物である,と考えたのです。所有権や占有権という権利は,訴訟における攻撃防御方法(主張方法)にすぎず,それらは訴訟物ではない,と考えたのです。当事者間の紛争を早く終わらせよう,という配慮に出た立場だということができるでしょう。



ところが,三ケ月先生がその新しい考え(新訴訟物理論と呼ばれています)を学会で発表したとき,会場から質問がありました。それは,上掲の民法202条に関する質問でした。



質問をされた大学の先生は,民法202条は占有権で訴えても,所有権でも訴えることは妨げられない,と書いている,ということは民法はそれらを別の訴訟物だと考えている,ということであり,三ケ月先生の立場である両方を包摂するような立場そのものが訴訟物だ,という考えは民法に反するのではないか,との質問をされたのでした。



私が聞いたところによりますと,三ケ月先生はこの質問に対する答えを用意していなかったようです。その学会では即答はせずに,後に研究をされた上で,質問への回答になる論文を発表します。それが民事訴訟法学会における白眉の論文と言われる「占有訴訟の現代的意義」(『民事訴訟法研究第三巻』3頁)だったのです。その後民事実務の立場は変わることはなかったものの,民事訴訟法学会では,三ヶ月先生が提案された新訴訟物理論が通説となるに至ったのでした。






三ヶ月先生は,大学のボート部の顧問を長く務められ,ボートやヨットを愛されたことでも知られています(三ヶ月章『一法学者の歩み』(有斐閣,2005年)279頁など)。温かい春の木漏れ日の中,ボート部の学生の方々を連れて,花見に行かれたこともあったのではないでしょうか。