ダーウィンはビーグル号に乗り,世界一周の旅に出ました。実はダーウィンは,生物学者としてではなく,船長の話し相手として乗船した,と言われています(乗り込んだ船は軍艦だったのですが,当時の軍隊は上下関係が厳格で、船長は船員と普通の話をすることができなかったため,話し相手役が同乗していたのだそうです)。でも大学で地学や生物学を学んでいたダーウィンは,そのチャンスを自分自身の人生における大きなプラスとしたのです。


ダーウィンは,ガラパゴス諸島で進化論のヒントを得たのですが,イギリスに戻った後も,その考えを公にするかどうか悩みます。いや,むしろダーウィン自身が,その当時の支配的な考えであった神による創造説を離れていいのかを悩んでいたようです。


ダーウィンの家は,今でも保存されているのですが,家の横には,いつもダーウィンが散歩をしながら思考していた散歩道が残されています。サンド・ウオークという名前のついた小道です。


ダーウィンは帰国後,いとこのエマと結婚をして,10人の子供に恵まれます。でも,ダーウィンがとびきり可愛がっていた長女のアニーが,10歳の若さで亡くなったのです。ダーウィンは,アニーの死後もずっと,毎日のようにサンド・ウオークの散歩を続けたそうです。ダーウィンは,アニーの死後,サンド・ウオークを散歩しながら,神は本当に存在するのか,存在するのならなぜエマを奪ったのかを問い,進化論へ,つまり神との離別を決めたと言われています(アニーの死とサンド・ウオークでの思考については,長谷川眞理子『ダーウィンの足跡を訪ねて』(集英社ヴィジュアル版,2006年)169頁以下に記載されています。同書は生物学者の長谷川先生が,ダーウィンにまつわる世界中の場所を旅するという大変面白い本です。ご関心をお持ちの方はぜひお読みください。)。






進化論は,今では当然のこととして,学校の教科書にも記載されています。でも,アメリカでは,進化論を公立学校で教えることを禁止する法律が過去には制定されたことがあり,その是非をめぐって,いわゆる進化論裁判が何度も起こされています。


1968年に行われた裁判では,当時のアーカンソー州で公立学校で進化論を教えることを禁止した法律につき,連邦最高裁は,聖書に一致しないという理由で進化論を教えることを法律で禁止することは,特定の思想を禁止しようとするものであり,表現の自由や信教の自由を保障した合衆国憲法修正第1条に違反する,という判決を出しています。


また1981年には,今度はアーカンソー州とルイジアナ州で,公立学校で進化論と同じ時間だけ神による創造説(科学的に説明しているので創造科学と言われました)を教えなければならないとした法律が制定されたのですが,1982年にはアーカンソー州の法律が,そして1987年にはルイジアナ州の法律が,それぞれ憲法に違反するものであるとの連邦最高裁の判決が出されています。






このように考えてみると,進化論こそ真理で,神は存在しない,と思われるかもしれません。ここで一つ,ある事件をご紹介したいと思います。以前フジテレビ系列の番組でも紹介されたものです。


1950年3月1日の午後7時20分,ネブラスカ州のベアトリスという町にある教会で,聖歌隊の練習が始まる予定でした。


この教会の聖歌隊のメンバーは15名で,何年にもわたり,いつもこの時間に全員が集まって練習を開始していました。メンバーは皆信心深い方々でしたので,それまでに誰一人,練習に遅れてくることはありませんでした。


でも,なぜかこの夜に限って,メンバー15名それぞれに,突然子供が熱を出すなどの予期せぬ出来事が起こり,その日はメンバー全員が,同時に練習に遅れてしまったのです。既に述べましたように,メンバーが練習に遅れたことは,それまで一度も,一人もなかったことでした。


するとその日,いつもなら練習が始まっていたはずの午後7時25分,その教会はガス漏れのために大爆発したのです。


もし,15名のメンバーがいつもどおり時間どおりに集まっていたならば,全員が助からなかっただろう,と言われているそうです。


信心深い方々が,一度も遅刻をせずに練習を熱心に続けていた。そして教会が爆発した日に限って,偶然の出来事がそれぞれに起こり,メンバー15名全員が,同時に初めて練習に遅れてしまった。


そう,ひょっとすると神は存在するのかもしれませんね。なぜならば,この世は謎に満ちあふれているのですから。