商標権と社会,権利と社会という観点から,とても興味深い記事が,朝日新聞に掲載されていましたので,引用させていただきます。



http://www.asahi.com/culture/news_culture/TKY201010040112.html



欧米の高級ブランド5社のロゴマークや柄が入った生地でバッタをかたどった,約40センチの立体アート作品「バッタもん」を,今春,神戸市の神戸ファッション美術館が企画した展覧会で9点展示されたところ,ルイ・ヴィトンの日本法人が「登録商標権を侵害するコピー品で作られている」と展示中止を求めた,という事件です。



抗議を受けて美術館は,5月に作品をすべて撤去したのですが,来月11月に再度復活展示を行うことになった,と記事は伝えています。作品の作者である岡本光博さんは,作品は大量消費社会におけるオリジナルとコピーの関係について問題提起をし,「表現」について広く考える場にしたい,と言われているそうです。



以前,このブログの記事「シェイクスピアと著作権」において書きましたように,「権利」とは,「権利」として紙の上に活字として書かれていればいいのではなく,社会の要請,そして正義の観念から,私たちがその「権利」をどう動かしていくのか,という視点こそが大切なのだと思います。



この「バッタもん」事件が提起しているのは,商標という「権利」を社会である法人(会社)に与えた場合,その「権利」とは社会のすべての領域で独占できるもの,という趣旨なのか(独占が社会を最も幸せな姿にするのか),それともそうではない,という「権利」の動かし方こそが,社会をより幸せな姿にするのか,という問題です。



そしてそれは,価値の対立の問題であります。私たちは,正解のない法律の世界で,それぞれが有する価値観を,商標権という「権利」に反映させ,さらにはあるべき社会の姿という社会観をも反映させ,「権利」を,そして社会を動かしていかなければなりません。








「バッタもん」は許されるべきである,という価値観の代表的なものは,次のようなものでしょう。



商標とは,商品の区別のために権利化された存在であり,その権利そのものが,登録の際に選定する一定の限定された商分野(「化学品」「薬剤」「かばん類」などの商品・役務区分)においてしか主張できないものです。また不正競争防止法は商取引における不正競争を防止するために設けられた法でありまして,芸術品との競争は念頭においていません。



加えますと,ブログ記事「シェイクスピアと著作権」でも書きましたように,偉大な芸術作品は,既に社会に存在する素材を元に,さらに新しい芸術的価値を付加する形で生まれるものです。



同記事にも引用させていただいている福井健策『著作権とは何か―文化と創造のゆくえ』(集英社新書,2005年)には,映画「ウエスト・サイド物語」はシェイクスピアの「ロミオとジュリエット」の盗作ではないか,という裁判が行われたらどうなるだろう,という話が登場します。



仮に裁判において,「ウエスト・サイド物語」側が敗訴しそうになった段階で,「ロミオとジュリエット」には,実はシェイクスピアの発表のわずか30年前にアーサー・ブルックという作家が発表した「ロミアスとジュリエットの悲劇物語」という,ほぼ同じストーリーの詩物語があり,それが種本になっている,という主張が出てきたら,裁判官はどう判断するだろうか,というお話です。



著作権という「権利」が強く保護されていなかった時代だったからこそ,「ロミオとジュリエット」という名作は生まれたのだ,ということですね。



その一方で,「バッタもん」は許されるべきではない,という価値観としては,「芸術作品である」という言い分で,コピー商品が作成されてしまう可能性が指摘されるべきなのでしょう。



大切なことは,法律の世界には正解はない,ということをもう一度確認することではないでしょうか。紙の上に活字として書かれた存在にすぎない法律,そして「権利」を動かしていくのは私達なのです。









実は,私のとても好きな本の1つ,道垣内正人先生の『自分で考えるちょっと違った法学入門[第3版]』(有斐閣,2007年)35頁以下には,次のような問題が掲載されていますので,引用させていただきます。

「金庫メーカーのA社は,勝手に扉を開けると爆発するという仕掛けについて特許を得た上で,この装置付きの金庫を販売したところ,評判となり,大きな収益をあげていた。


これを見た別の金庫メーカーのB社は,そのような仕掛けをしていないにもかかわらず,A社の爆発装置と外見上似たものを付けた金庫(全体の形は異なる)を,そのような装置は付いていないことを明示した上で,A社の金庫よりも安い価格で売り出し,大きな収益をあげた。

仕掛けがないのだから安く作ることができ,消費者としても泥棒が爆発装置付きだと誤信すれば金庫の目的は達せられるからである。


そして,このB社の金庫の発売の影響を受けて,A社の金庫の売り上げはめっきり落ちてしまった。

A社がB社に対して損害賠償を請求することを認めるべきであろうか。B社はA社の特許権はもちろん,デザインを保護する意匠権など知的財産権法上の特別の権利は侵害していないものとする。」

1920年代のアメリカで現実に起きた事件にヒントを得て作られた問題だそうです。発明を行うインセンティブをどこまで社会として保護するべきか,というとても難しく,でもとても興味深い問題ですね。皆さんは,どのように思われますか。