私が岡山大学法科大学院で担当させていただいている講義で,受講生の方々に,司法権が求めている人材について,お話をしたことがあります。



私は,司法権が求めているのは,何でも知っている人ではなく,どのような新しい問題についても,法を使って解決することができる人である,という内容の話をしました。



私も受験時代そうだったのですが,司法試験の論文試験では「知識」を見ようとしている,と考えている方が多いのではないでしょうか(これは,司法試験の勉強を,まさに「(歴史的な)知識」の有無を見ようとしている短答式試験から始める方がほとんどであることからくる弊害だと私は思っています)。



ここで少し,株式会社を題材に,考えてみたいと思います。



もともと商売というのは個人で行うのがスタートとなることが多いわけです。町の八百屋さんや魚屋さんなどがそうですね。Aさんが,貯めておいた貯金100万円を元手にして,魚屋さんを始めたとします。もちろん魚を魚市場で仕入れてくるのも,お店でお客さんに魚を売るのもAさんです。



だんだんと商売が繁盛すると,Aさん1人ではとても店をまかなうことができなくなります。Aさんは友人のBさんとCさんにも一緒にお店をしてもらうことにしました。すると,そこには一種の組合契約が成立するのですね。組合契約は民法の契約法の授業で学ぶことになりますし,民法総則の法人のところでも勉強することになります。


さて,Aさん,Bさん,Cさんの3人で魚屋さんをする組合契約が成立しました。そして,Aさん,Bさん,Cさんはそれぞれお金を出し合って,魚屋で使うショーウインドウを買ったとします。そのショーウインドウの所有権は誰に帰属するのか,というと3人の合有ということになります。



民法の共有については民法の教科書に書かれていますので,読まれた方もいらっしゃるかもしれません。どの共有者からいつでも分割請求をすることができるのが共有ですね。それに対して,組合契約では共有ではなく合有といいまして,当然には分割請求できない共有形態です。組合員は,自分が組合から抜ける時に初めて持分の分割を請求できるようになります。



では次にどうなるかというと,その魚屋さんがもっともうかったので,法人にしようということになりました。会社法には株式会社の外に合名会社という会社についても規定しているのですが,魚屋の法人格を取りたい,ということになり,合名会社としました。



合名会社というのは組合的な小規模な会社形態なのですが,法人としたことにより,そのショーウインドウは3人の所有から法人である魚屋に直接帰属することになります。この権利関係が法人に直接帰属する,というのが法人という法技術の最大の目的です。



さて,合名会社でも大変もうかったため,いよいよ株式会社にすることになりました。株式会社というのは社会の複数多数の方に出資を求めます。その出資者は株式を買うのですが,株式を買う際のお金,これを出資金と言いますが,それだけ必要で,仮に会社が倒産しても,出資金が戻ってこないだけで,それ以上の責任は負いません(これを間接有限責任といいます)。その反面,利益が出れば配当を受けることができます。



すると有望な会社の株式は皆ほしがりますね。この魚屋さんは大もうけをしていたので,すぐに株主が集まったとします。



でも,そのような出資者は数も多いですし,出資されるぐらいですから出資者の方々は,おそらくお金に余裕はあるのでしょうけれども,特に経営の専門家の方が出資されているわけではない方がほとんどでしょう。



これまでの会社形態では,お金を出した人が経営もしていたのですが,株式会社で,毎日株主全員が魚屋さんの営業のためにお店に来るというのも非現実的ですね。



とすると,株式会社の実際の経営をしてくれる人を株主の間で選び,日常の業務はその人に頼むということになります。これが取締役と言いまして,複数の取締役の代表者が代表取締役です。魚屋の3人は株主総会で取締役に選ばれれば取締役になりますが,選ばれなければ別な経営の専門家が取締役になることになります。



合名会社までは資金を出している出資者が直接経営をしているのに対して,株式会社では出資者は直接経営をしないことにご注意下さい。これを「所有と経営の分離」といいます。この「所有と経営の分離」というキーワードから,会社法の問題はすべて生じて,すべて解けることになるのです。



会社制度というのは,もともとイタリアで始まったと言われています。最初は家族,兄弟で一緒に商売をしていたものが,個人事業から分離した会社形態の最初ではないか,と言われています。その後,東インド会社が設立されて,株式会社という制度が始まった,とされています。



東インド会社は,アジア地域での貿易を独占することを認められた会社でして,例えばイギリス東インド会社は,1602年に設立されました。



イギリスから遠くインドだけでなく,マレーシア,タイ,日本(平戸)にも来ていたようです。めずらしい商品を船で買いに行き,イギリスに戻ってきたらそれが高く売れるため,大もうけができる,というものでした。



もちろんうまくいけばいいのですが,当時の船ですから,ひょっとしたら途中で沈没してしまうかもしれません。もし船が沈没すると,出資者は責任を取って全財産を失う,などという条件なら,そんな危険なことに対して誰も投資などしませんね。だから,船が沈んでも,出資者は出資したお金が戻らないだけで,他に責任は取られませんよ,でもうまくいって船が荷物を積んで戻ってきたら,大もうけできますよ,という風にしたのです。



それが株式会社の始まりでした。それなら皆安心して出資しますね。その結果株式会社制度は多大な発達を遂げました。現在の資本主義社会の発展は株式会社なしには考えられません。



このように,株式会社の本質が間接有限責任にあり,それが必然的に所有と経営の分離をもたらしているとすれば,会社法は現行法の中で最も頻繁に法改正が行われる法ですが,仮に今後,何度会社法の改正があったとしても,それが株式会社法である限り,その間接有限責任と所有と経営の分離という本質部分は変わらないのです。



とすると,例えば今年の司法試験の会社法の問題である事例が出題されたとすると,司法試験考査委員としては,その出題された問題の知識そのものを見ようとしていないことは明らかです。



司法試験考査委員としては,仮に今後会社法が何回改正を重ねても,その新しい法が株式会社法である限り,その新しい法を使って,新しい社会問題についても解決することができる才能を有しているかどうかを見ようとしているはずなのです(そうでなければ,私たちは法が改正されるごとに司法試験を受け直さなければならないことになります)。



しかし,どんなに会社法が改正されても,株式会社の問題はすべて間接有限責任と所有と経営の分離から生じ,かつその問題は,すべて間接有限責任と所有と経営の分離の観点から解決されるはずなのです。論文式試験は,そのような観点から新しい問題にアプローチできているかを見る試験です。



これは,実は会社法の問題だけではないのです。司法試験の論文式試験の問題は,出題されている題材そのものの知識を見ようとしているのではないのです。



論文式試験の問題として出題されるのは,あくまでも題材であって,司法試験考査委員が見ようとしているのは,その題材を使って,「私は法とはこのように使うものだと思います」「この新しい問題は,法を使ってこのように解決するべきだと思います」という,憲法,民法,刑法等々の題材の背後にある「法の使い方」「法の動かし方」そのものなのです。



毎日司法権に提訴される案件は,どれを取っても同じ事件はありません(同じ殺人事件でも,1つ1つの事件の内容は異なっているのです)。司法権の担い手は常に新しい社会問題を,法を使って解決すること,そしてそのプロセスを通じて社会をよりよい姿に導いていくことが求められています。



司法権が求められている任務,そしてその担い手を選ぶ司法試験が見ようとしている能力をしっかりと把握して,試験の準備を積み重ねる必要があるのですね。