メンタルが敏感なのは繊細で優れた魂の証 【Twitterより】 | LEO幸福人生のすすめ

LEO幸福人生のすすめ

幸福の科学一信者のブログです。
幸福の科学での学びを中心として、
読んだ本や、観た映画の感想などを書いています。
面白くて~わかりやすく、ためにもなるブログを目指しています!

 

 

この前リツイートの内容はアレだよねー。 メンタルを病みやすいというより、繊細で敏感なんですよ。だから魂としては優れているんですよ。 まじめで責任感が強いでしょ。責任をずっとしょってる。自分の責任としてずっと考えている。それは辛いかもしれないけど、無責任な人は自己責任ゼロ。

 

重圧に耐えているということは、それだけ魂が鍛えられてタフになり、より大きな責任を負う立場に立っても耐えられるね。 無責任でテキトーな人、他人任せの人は、なーんも考えてないから気楽に見えるけど、ちょっとした重圧にも耐えられない人間になっちゃうよ。だって何にも背負わずにお気楽に

 

生きてんだもん。鍛えられてるわけがない。 お気楽人生はその場かぎりで、人間としての成長が無い。耐えて責任を負っている真面目な人は、魂が鍛えられて成長する。差は後になるほど、大きくなります。 苦楽中道の楽ばっかりやってたら、まったくダメということ。

 

それから他人を優先する人はメンタルを病むけど、自己中心の人はメンタルを病まない。他人の気持ちを考える人はメンタルを病むけど、他人の気持ちをあまり考えない人はメンタルを病まない そりゃそうでしょう。他人のことを考えない自己中の人は、自分の言動が他人を傷つけても知らん顔。何にも感じず

 

それは魂が鈍感だからで、だから何も感じない自己中魂。こういう人は死んだ後に、他の人を傷つけたり迷惑をかけたり苦しめたことを、ようやく敏感になった魂で初めて痛感し、死んでから後悔しながら感じるんですよ。あとでどっとまとめてやってくるだけ。

 

他人のことを優先して考えている人は、生きている時から他人の気持ちに敏感で、だから傷つけてないかの配慮が出来るし、寄り添う優しさも持っている。自己中の人は鈍感だから、そんなことなーんも考えてないし感じてもいない。どちらがいいのか。

 

メンタルに影響を受けたとしても、他人の辛さや苦しさがわかる人の方がいいでしょう 自分の悩み苦しみも、深刻に考え込んでそれを乗り越えた人の方が、深く優れた人間となれる。他の人の相談にも乗れる。単純で何も考えてないお気楽人では、人生の深さも感じ取っていないので、人間として未熟に留まる

 

メンタルを病む、じゃなくて、メンタルが繊細で、悩みや苦しみを敏感に感じすぎたって、感じない人よりはよほど大切なものを感じ取っている。 ただしそうしたものを全部感受するのじゃなくて、不要な悩みをカットしたり、そうした心のコントロールをすればよい 感じない人はコントロールもへちまもない

 

一見、大変そうな方が、実は心豊かになる可能性を秘めていて、 反対に、お気楽そうなのは、進歩が無いのかもしれませんね。

 

メンタルを病むんじゃなくて、魂が繊細で敏感で感じやすい人は、それだけ霊的で本来の魂の生地が素になって生きているんだと思いますよ。 生きている時に、ちゃんと感じるべきは感じ取れている。 鈍感な人は肉体の分厚い殻に染まり切っちゃって、なーんも感じていないから、あとで反省させられます。