史記 ~本紀・世家・列伝~ | LEO幸福人生のすすめ

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司馬遷の 『史記』。

いま読んでも学ぶことが多い。人間学、処世術、思想と行動において、学ぶべき人物と、要注意人物とでも言うべき怪しげな人物、多数の歴史上の人物が語られている。

単にそうした人の言動を収録している、というだけではなくて、司馬遷という著作者の洞察力の深さゆえに、歴史への深い洞察を学ぶことが出来るのだ。

 

 頭から終わりまで通読して読むと、年代順の歴史物語を読める、というような書き方ではないのが興味深いところ。

さまざまな人物を主人公にして、その人物を中心とした、事件や戦争、その他の人物との関係を描いているので、

その他の人物たちの章を合わせて読むことで、最後になるほど、立体的に、多面的な歴史理解が出来るようになっている。

 

項羽の物語と、劉邦の物語、それから韓信の物語、張良の物語、蕭何の物語という形で別々に語られた内容を、自分のなかで体系的に整理して、理解すること。

思えば歴史というのは、これ一冊読めばわかる、などという簡単な話であるわけもないのであって、さまざまな人物から見た見え方、それから彼らの行動、言動、その他の動きがさまざまに錯綜して、歴史というものは作られるのだから、

一人一人の立場に立ってみれば、自分から見たその時代でしかないのであって、一個人が全体像をすべて見渡しながら、その時代を生きることは難しい、というか、そんなことは不可能と言った方がいいのだろう。

歴史の当事者はみな、そうした一個人としての目で見た、時代の要請を感じ取って、自分一個の人生を生きる。ある者は国のために命を捧げて、無私なる人生を生き、またある者は、自分の欲得のために、国家を自在に操って国を亡ぼしたりする。

偉大なる人物と、まるで悪魔のような人物まで、さまざまな人間が登場してくる。

 

話は脱線するけれども、幕末とはどういう時代であるかを知るためには、司馬遼太郎の 『竜馬がゆく』を読むのが最適だと、わたしは思う。

竜馬という主人公を中心にして、あの物語は語られる。初めはいったいどんな時代なのか、さっぱりわからずに読んでいく。それは、主人公たる竜馬自身がそうなのだから、読者も何が世の中で起きているのかわからずに読んでゆく。

竜馬が体験するが如くに、竜馬が驚くがように、読者自身も驚きながら、黒船の来航や、その後の幕府や諸藩の動き、著名な活動家の動きなどを追いかけてゆくうちに、幕末の息吹の中に引き込まれていってしまう。

読み終わる頃には、長州藩が何をしたのか、薩摩藩がどういった動きをしたのか、かたや幕府や会津藩はどういった歴史的意義を担ったのか、そういったことが、それなりに理解できるようになってゆくだろう。

最初から、神の目でもって時代全てを鳥瞰したような歴史を読むのではなくて、一登場人物の目から見た歴史物語を描く、それを読む、ということの利点は、上の 『竜馬がゆく』の読書体験に顕著であると、わたしは思う。

 

振り返ってみれば、司馬遷の 『史記』も、項羽の章を読み、劉邦の章を読み、劉邦を支えた蕭何や韓信、張良などの名参謀の章を読み、あるいはそれ以前の、始皇本紀を読み、諸子百家の章や、名だたる軍略家の章を読んでゆくうちに、なんとはなしに、中国全体での興亡史、その流れがわかってくるようになってゆく。

これは実に理に適った表現法だと思うし、のちの中国の史書がみなこの司馬遷形式に倣って歴史記録を残したこと、なるほどと頷けるものだ。

 

 『史記』は、皇帝たちを 『本紀』の中でまずは活写し、それに連なるかたちで、 『世家』 編で著名な諸侯を描いている。

項羽や劉邦、始皇帝のように、皇帝になったり、一時代を画したトップは、 『本紀』で取り上げられている。

これに仕えた諸侯たちは、 『世家』で取り上げられている。張良は「留」の地へ封じられたので、 「留侯世家」の題名のところが、張良の話になっている。

一家を成した名家、成功した諸侯などが多くこの『世家』に取り上げられている。

韓信は、粛清されることなく、その家が大を成していたなら、 『世家』に取り上げられるほどの人物だったと思うけれど、反逆罪で処刑されてしまったので、 『列伝』の方に出ている。 『列伝』は 『世家』に取り上げられていない、その他の著名人たちが描かれている、 『史記列伝』と続けて言われて人口に膾炙しているだろう。

 『列伝』には、老子や韓非子、孫子も取り上げられている。孔子は儒家が大を為したので 『世家』の方に出ている。いずれも興味深い内容を多数含んでいて、学びになる。

軍略家や将軍、政治家も多数紹介されている。  

幸福の科学の霊言にも、すでに登場した名が数多い。

現代の評論家や知識人として転生していたり、あるいは現在、中共の霊的背景で暗躍している悪魔のような霊となっている者もいるらしい。

老子、韓非、孫武、孫臏、孔子、子路、張儀、孟子、李斯、韓信、蕭何、商鞅、などなど。

霊的出自、その転生の因果関係を洞察すれば、どのような生き方、言動を過去世で行なった魂が、現代に出たらどのような動きをするか、ということを読み解くヒントにもなるのではないか、と思う。