知力のもとになるのは、「訓練された頭脳」と、「良質の情報を集め続けること」 ~霊言のことばより~ | LEO幸福人生のすすめ

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まあ、基本は、やはり、「知力」だと思うのです。知力のもとになるのは、「訓練された頭脳」と、「良質の情報を集め続けること」ですよね。頭脳の訓練を 怠れば、情報に対して反応しなくなるから、「頭を 鍛えつつ、良質の情報を集め続ける努力をする」ということですねえ。 ただ、切手の収集癖 のように、ひたすら集めるだけでは 駄目 であって、集めたものを、いかに精選し、生産物に結びつけていくか。そして、アウトプットしていくか。これが大事

 

 

知力のもとになるのは、頭脳と情報の二つである、と言っている。

その頭脳も、訓練された頭脳が必要、と言っているのだし、情報も単に数を大量に集めればいい、などと言っているのではなくて、良質の情報と言っている。しかも、そうした良質の情報を、集め続けること、と言っていますね。

さらっと言っているけれど、さすが「知は力なり」という言葉を遺した知的巨人の言葉だと、読んで納得、確かにそうに違いない、と思える名文ですよ、これ。

 

鍛えられた頭脳でないと、大事な情報に遭遇したとしても、反応しない、スルーしてしまうかもしれない。

鋭敏な反応力を持った頭脳、優れた反応を示す頭脳を持つ必要があるのだ、ということ。

そのための、頭脳訓練の必要性ですね。

言葉でいうのは簡単だけれども、訓練された頭脳である、と言えるほどに、自身の頭脳が鍛えられているかどうか、そのことを考えないといけないと思うし、鍛えるためには、どのような生活スタイルが必要なのか、知的生活の方法といったもの、これを自身に当てはめて、どれだけ知的生活を実践してきているかが、問われてくる問題だと思います。

 

そうして、頭をもし鍛えてきた人生を生きてきたとしても、良質の情報を集める、それも一時だけ集めてもダメであって、集め続けることが大事である、と言っていますね。

いくら頭脳が優れていても、その頭脳を働かせるために必要な情報、それも良質な情報を豊富に持っているかどうか、ということ。それを持つためには、絶えず重要な情報を集め続ける努力が必要なのだ、ということ。

これもまた納得で、情報に疎くなると、いくら地頭が良い人だったとしても、頭を使うことが少なくなると、いつの間にか鈍重な頭脳になっていってしまうものですからね。学生時代に頭がシャープだった人間が、社会人になって何年何十年も経つと、頭の切れが悪くなり凡人となる、というのは、良質の情報を集め続ける努力を欠いていたのだろうし、それによって頭を鍛錬し続けるということを、いつの間にか辞めてしまったからではないのか。

どれほど生来の頭の良さを持っている人であったとしても、その頭脳は鍛え続けなくてはいけないものであって、どこかで怠けたらそこでおしまいです。

そうして、絶えずそれだけの頭脳訓練をしながらも、良質の情報を常にインプットして、高度な思考を絶えず行い続けること。

良質の情報が思考素材となり、そうした思考を続けることで、頭脳はさらに鍛えられ … 、

 

そういう好循環が生まれるところにこそ、真に優れた知力というものが備わってくる。

 

「訓練された頭脳」と、「良質の情報を集め続けること」

 

両者は互いに補完し合い、頭脳があっても情報がなければ優れた考えは生まれないし、良い情報が山ほどあっても頭脳がなければこれもまた何も生み出さない。

情報が大事といっても、単に切手の収集癖の如く、数を集めたらいいかといったら、集めるだけでもダメです、と日下さんは言っていますね。

集めたものを、鍛えた頭脳で考えないと意味がない。考えるというのは、得た情報を精選し、価値ある情報と無価値な情報を峻別し、かつ、そうした良質の情報から得られる高次の判断・結論というものを、みずから見出していかないといけない。素材を集めるばかりで、なにも自分では考えないというのでは、単なる収集にしか過ぎないものであって、そこに新たな価値は生まれない。

得たものを、自分としてはどう考えるのか、そうしてそこから如何に価値あるものを新たに生み出すのか。生産してゆくのか。アウトプットが必要、と言っていますね。

このくだりは、日下さんの守護霊が、知とは何かを語っているところですが、つづくくだりで、これをもっとも優れた形で行ない得ているのが、大川隆法という人であろう、と述べているくだりです。

膨大な数の本を読み、絶えず新たな情報を集め、集め、集め続け、それを単に集めるだけではなくて、自分のところで精選して、それらの情報から判断できること、未来予測につなげてゆけること、そうした様々なる新たな視点を見出しつつ、それをご法話、講義という形で、世界に発信してくださっていること。

それが生産物に変える、ということ、アウトプットに結び付ける、ということの実証例だよ、と日下さんの守護霊は説明してくれているわけです。

 

これもまた本当にそう思うし、さまざまな本を読んで、情報をインプットしたら、それをいったん自分の中に取り込んだなら、今度はその取り込んだものを、自分の心の中から、頭の記憶の中から取り出して、そうして自分自身のもとで整理しないといけないんですよね。

バラバラに雑然と情報を山のように積み上げ転がしといたって、自然にそれが積みあがって、何かの物語に変わってゆく、なんてことはないのであって、自分自身の意志と思考によって、まとめあげつつ、新たなるものを見出してゆかないといけないのだと思います。

そこに、生産物を生み出す行為、アウトプットに値するものを生み出す、自分の言葉で語る、自分の中から、その思い、考え、価値あるものを生み出す、ということが始まるのだと思います。

情報収集というのは、そこに至るまでの最初の素材集めにしか過ぎないので、単にそこで留まるだけであったら、これは知を働かせている、とはまだ言えないレベルの段階に過ぎないだろうな、と思うし、情報を集めたなら、自分としてはそれをどう考える、どう整理する、そこに何を見出すのだ、というところまで思考しなければ、次のステップへは上がれないものなのだ、ということをつくづく考えさせられますね。