他の人のことをよく考えて仕事をしている人もいれば、自分本位の働き方しかしていない人もいる | LEO幸福人生のすすめ

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連携を必要とする仕事、他の人との協調が大切とされる仕事、職場。

 

他の人のことをよく考えて仕事をしている人もいれば、自分本位の働き方しかしていない人もいたりと、人それぞれ生き方・考え方は違っていて、そういう様々な人が混在して、職場というものは成り立っている。

 

しかし見ていて、やはり他の人のことを考えて仕事をしている人は、申し送りや、後の人への配慮、全体のための協力性など、さまざまなところで、愛の人生、奉仕の人生をおくれているように思えるし、

一方の、自分本位の働き方しかしていない人は、自分の仕事範囲のことだけやっていれば、自分はちゃんと働いていると思ってしまっていて、他の人への配慮や、協力の度合いで、非常にお粗末な働き方しか出来ていないことに、自身まったく気づいていないように観察される。

両者の開きは、思っている以上に大きなもので、これは魂の格の違い、悟りのレベルの違い、愛の悟りのレベル差、といってもいいくらいの、大きな開きがあるのだと、心の教えを学んでいると、そう思えて仕方がない。

 

難しいのは、

よく心が練れていて、他の人への配慮が出来ている人ほど、奉仕的であり、自分の仕事以上の働きをして、大きな貢献をしているのに対して、

もう一方の、自分本位の生き方をしている人は、自分にあてられた最低限の仕事しかせずに楽をしているのに、給与は同じ額だったりと、そういう、公平ではない結果になってしまっている、ということだ。

お金が全てではないけれども、目に見える処遇という点で、給与というものほど分かりやすいものはないし、これが同額であると、よく働こうが怠けようが同じこと、だったら出来るだけ怠けた方が得である、と損得勘定で考える自分本位の思考タイプと、いやそれでも他の人のために協力的に働くことが大切だと考える利他的タイプに分かれるものだ、とそんな風に見受けられる。

出来得るなら、後者の方の働き方が出来る人間になるべく、そうした心をもって生きられる人間となれるよう、自分の心を磨くべきだと思うし、それが出来ている人ほど、心の修行が出来ている人であろうと、そう私は思う者であります。

 

実際に、その職場における人物評価、他者からの評価という面で見たら、評価の違いは歴然であって、自分本位の人が高い評価を受けることは決して無いし、一方の、協調性の高い人、他の人のことをよく考えて働いている人の人望力は、自分勝手な人の比ではないこと、言うまでもないことでしょう。

他者の評判・評価などどうでもいい、お金が一緒なら出来るだけ怠けた方がいい、と考えるタイプは、その考え方がすでにエゴイスティックであるし、これは与える愛の観点から言ったら落第で、奪う愛に生きている人ということになるでしょう。自分本位、自分の立場でしかものを考えていないエゴ思考というのは、そういうことだと思います。

いま現在生きている人の半分、半分どころか6割近くが、死後、地獄に堕ちていると言われているけれども、日常生活や仕事レベルで見ても、上記のように、自分本位に生きているか、それとも、他の人への配慮や愛の心でもって生きているかの違いを見れば、死後の判定は、生きている時から実はわかってしまう、と言ってもいいのではないかと思いますね。

 

なぜ、こうした違いが出てくるのか。

一つには、視野の広さ・狭さの違いがある、とわたしは思います。自分本位の人は、自分の気持ちばかりを優先していて、他の人の気持ちだとかそういったことへの関心が無い、薄い、わかっていないし、目がそもそも向いていないという意味で、視野が狭いんですよね。

もう一方の利他的な人というのは、他の人の気持ちにも敏感で、決して無関心ではないし、同情的であったり、共感能力が高かったりで、そもそも他の人への関心が強くて、だから積極的に関わってゆくし、だから会話も多くなって、よく他の人のことを理解しているものでしょう。

そういう意味で、認識領野が広い、視野が広いのであって、自分がどう思うかだけではなくて、他の人がどう考えているかへの理解もしながら、その職場で働いているのだと思います。

だから困っている人があったら、進んで協力して助けてあげることが出来るし、後を引き継ぐ人への配慮の気持もいっそう強くて、だからそういうところに、協調性の高い動き方とか、相手からの信用が高い、人望がある、といった判定結果につながってゆくのだと思います。

 

全体を見てのバランス、というのも大事ですね。

わたしは、自分本位の人の自己本位な動きと、協調性のある人が仕事が増えて負担が多いのを見ると、そこに欠けている公平性を改めたいなと思って、両者のバランスを正しいバランスに変えようと、そういう提案をしばしば会議等で行なって、結構、改革などをよく行なうタイプなんですけれど、

人がいい人ほど、お人好しは損をする、みたいな結果に陥りがちで、一方では、自己中な人は極力仕事を怠けて、最低限のことしかやらなかったりするので、しかもそういう人ほどエゴ主張が激しいので、自分の主張を押し通していたりするものなので、そこは全体バランスから見ての改革を行なうことに、わたしは結構はげんだりするわけです。

働きすぎている人の余分な仕事を、自分本位でさぼっている人の任務に切り替えて、本人が多少不本意に感じたとしても、それをやらせるシステムに変更したりと、そういう提案・改革をしますね。だって給料が一緒なんだから、ある程度はそういう是正をしてあげないと、怠け者が得をして、働き者が損をするみたいな形になるのは、給与面だけからいっても不公平ですからね。

しかして、そういう自分本位タイプが、ある程度は納得せざるを得ないような、そういう説得術、全体の総意でもって納得させる、といったことも同時に行ないつつ、そういう組織改革を、よく行ないます。提案も含めて、よくやる。

 

世の中の改革に関しても、自分本位の人ほど、こういった、楽をして得をしよう、得をしている、という生き方をしているもので、権力者の既得権益とかね、そういうのもそうだと思いますが、こういう不当なることを改めること、というのに、理念的な目から見た、改めるべき点が多々あるのだと思いますしね。

あとは、個々の立場において、具体的なる改善・改革というものが必要とされている。

政治の世界においても、役人の世界においても、財界などにおいても、神仏の目から見た公平性、本来あるべき正当なる評価、こういったものに近づけるべく、この世の在り方や、システムの改善もなされるべき、というところに、真実の理念はあるはずだと思うし、そうした大本をしっかりと把握した上での、個々人の世直し運動が必要なんだろうなと、そう思っていますね。