協調性とリーダーシップ | LEO幸福人生のすすめ

LEO幸福人生のすすめ

幸福の科学一信者のブログです。
幸福の科学での学びを中心として、
読んだ本や、観た映画の感想などを書いています。
面白くて~わかりやすく、ためにもなるブログを目指しています!

協調性の無い人は、基本的に言って、リーダーシップ能力に欠けているだろう、そういう因果関係があると思う。

協調性が無いということは、他の人の考え方に関心が無く、あるいは薄いのであって、それに対して、自分本位で動くことが多い、ということだと思う。

この手のタイプは、協調性が無いと同時に、自分本位の傾向が強く、そういう生き方をしているということは、他の人の視点に立って考える、ということが基本的に言って出来ていない、ということであろう。

いや自分は考えている、と幾ら言い張ったとて、共感的に相手の立場に立って、自分がその立場に立ってもそうするだろう、ということが実感的にわかるようでないと、これは相手の立場に立って考えているとは言えないのだ。

その反対に、相手の立ち場に立って考えることが出来る人は、そうした共感能力の豊かさゆえに、相手のことを慮ることが多くなり、相手のために協力的な動きを自然とするようになるのであって、それが 『協調性』という形で、現れてくるものなのだと、わたしは思う。

 

そうした姿勢が見られない、協調性を欠いた自分本位の動きばかりをする人は、他の人のことなど実は殆ど考えてはいないのだ。

傍から見て、他人事のように観察・分析することは、他の人の立場に立って考えていることとは違うのである。 

それは他の人の立場に立っているのではなく、傍観者のように、他人事のように見ているだけであって、その人の立場になど全然立てていないのであって、だから共感できてもいないし、真の意味でも理解が出来てなどいない姿にすぎないのだ。

そういう他人事目線の外からの分析というのは、あくまでも自分本位の、自分から見た、その人を外から見た姿でしかないのであって、その相手の立場から見た、その人の気持への理解とはまるで違っているものである。

 

相手の立ち場に立つことが出来る。

その人の視点から、同じようにして、共感的に物事を見ることが出来る。

そういう共感性、共感能力、ということがあって初めて、本当の意味での利他的行為に移れるのであって、そういうことが出来る人ほど、協調性のある人間となり得るものなのだ、とわたしは理解するものだ。

協調性のある人は、いろんな人の気持ちを理解することが出来、そうした人の立場に気持ちを置き換えて考えることが出来るので、大勢が集まった集団などにおいても、全体を見た上での公正な視点、バランスの良い見方、というものが出来るようになってゆく。

人それぞれが抱いている主観に偏るのではなくて、全体の中でのそれぞれの人の立ち位置を正確に、よりよく見ることが出来るからこそ、全体バランスの中での、公正なる判断、個々の立ち位置、あるべき姿というのが見えてくるのだと思う。

この人はこういう希望を持っている、あの人はこれこれこのように考えている、そっちの人はこのように考えていて、というように、それぞれの人の立場をバランスよく、公正に見られる人でなければ、全体像から見て、各人のあるべき姿というのは、決して見ることが出来ないと思われる。

そういう全体観から見た、個々の人に対する公正なる理解、共感力を持った視点、というのを持ちえているからこそ、こういう人は、全体を率いるリーダーとなることが出来るのだ、とわたしは思う。

 

リーダーシップを発揮することが出来る人、指導力のある人、というのは、個々のメンバーへの理解力があるからこそ、メンバー個々からも支持され、そうした人たちから押し上げられて、リーダーたることを承認される。

他の人への共感力の無いリーダー、などというのは、立場上たとえリーダーの立ち位置に立っていたとしても、おそらくは成員からはまるで支持もされていないし、信頼もされていないであろう。独善的な、自分本位の判断しか出来ない人間というのは、自分寄りの偏った考え方しか理解が出来ておらず、そのほかの考えは下に見る傾向が強いので、全体観を見通した上での公正なる判断などは、出来てやしないのだ。

だからこういうタイプは、自分と同じようなタイプのみには支持されたとしても、その他大勢には決して支持などされていない。そこまでの指導力、リーダー力しか持っていない、ということになるであろう。

まったく誰からも支持されないような、そうした独善的な思考しか出来ない人は、リーダーどころか、チームの成員としてすら満足に働くことが出来ないに違いない。

自分本位の思考しかできず、そうした動きしか出来ない人は、協調性を欠いているだろうし、そうした自分本位と協調性の無さは、その人を組織の中で孤立させる、そういう結果を招くだろうと思う。

 

まずは、自分本位の生き方・考え方を卒業して、もっと目を他の人に向けて、いろんな人の立場や考え方を、共感的に理解できる人間へと、成長してゆくことが先行しないといけない。

そうした協調性、他の人と協力して生きてゆく、そうした利他的な生き方が出来るように、みずからの生き方を改めないといけないのだと思う。

そうした生き方を踏まえた上で、どこまで多くの人たちのことを理解できるか、その広さ、深さ、というものが問われてくるのであって、リーダーシップを発揮できる力というのは、そうした利他的人生における自己修業、研鑽の上で、はじめて身に備わってくるのだろうと、そう私は考えるのである。