自分と違うタイプの人と仲良くすること ~ユング心理学から考える~ | LEO幸福人生のすすめ

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↑ この本を参考にした過去記事に、なぜかアクセスが増えているので、あらためて本文から引用しつつ、記事を付け足しで書いてみようかと思います。
 

多くの人が、自分の性格や本来の特質を正面から受け止め、まっすぐに理解する作業をしないまま生きているからです。  
確かに自分を見つめるということは、心理的に重苦しい作業かもしれません。のぞきたくない本心や、他人にはあまり見せたくない本来の姿と向かい合うこともあります。けれど、本来の自分の声に耳を傾けずに、本当に自分に合った生き方を見つけることはできないのです。  
ユングは、このように本当の自分を見つめ、自分らしく生きていくようになることを「 個性化の過程」と呼び、重視しています。そして、この個性化の過程が行われていなかったり、なんらかの理由で行き詰まってしまった時、心の不調や病が生じると指摘しています。心理的な症状を訴える人々が増えている現代、この、自分を見つめるプロセスは、よりいっそう必要なものとなっているのです。


自分の心が完璧で、あらゆる徳目において優れていてパーフェクト、生きていて何の問題もない! なんて状態だったら、人は自分の心の問題を考えようともしないでしょう。

完璧な心の持ち主などは存在せず、みな大なり小なり心の偏りというものを持っていて、それが長所となっていることもなれば、短所ともなっていたりして、長所の場合は善き性格として自分にも益するが、短所の場合は自分を苦しめる原因となったりしますね。

そういう意味でも、自分の幸不幸を分けることにもつながる、自分の心の問題、心の偏り、長所と短所。自分はいったい、どういった性格を持った人間であるのか。どういう心の特徴を持った人間であるのか。それをみずから探求して、自分をよく知る、というのはとても大切なのだと思います。

自分の心を直視すること、特にそれが、自分の悪しき部分や、みにくい本音などを直視するとなったら、目を向けずに知らんぷりをして生きてしまいたいものでしょう。
しかしそうやって、自分の本心、それも臭い物に蓋をするかの如き、欠点部分を顧みないで済まそうかの如きの逃避心理は、決して自分の人生を豊かにすることはないし、その反対に、自分をいつまでたっても苦しめる、隠れた原因として残ってしまっていることでしょう。

 

 

 

「自分の性格のここを変えたい」「もっとこういう人になりたい」など、誰でも多かれ少なかれ、「違う性格になりたい」という願望を抱いています。  
そうした願望は、決して間違ったものではありません。なぜなら本来もっとも機能的にすぐれているのは、先ほど挙げた4つの基本機能をバランスよく兼ね備えた性格だからです。

 


だいたい自分の性格の、ひどく凹んだ部分、偏った部分がマイナス方向にぶれ過ぎると、それが原因となって大きな苦しみになるのが常ですよね。

そうした場合、自分の性格を変えたい、もっと〇〇な性格だったらよかったのに … と夢想したり、願ったりはするものの、性格はそう簡単には変えられないので、諦めてしまって、現状維持で生きてゆくことが多いのだとも思います。
心理カウンセラーや精神科医のところへ行って、相談に乗ってもらったり、治療を受けたりしても、結局、自分の性格の問題部分を根本から改める意志がないかぎり、大本からの治癒は望めませんしね。

結局、性格は変えられない、といって諦めて放置したら、原因はいつまで経っても自然治癒で改善されることはないので、どれだけ年月がかかっても、本気で変えたいのなら変える努力を続けてみる、意志の継続が大切なのではないかと、わたしは思います。

性格は変えられる。心は変えられる。
偏った心の傾向性や、えぐれた部分は、それ相応の努力の継続と年数を要求されるけれども、変える努力を行ない続けた人は、徐々に徐々にでも、より善い方向へ着実に変わってゆける。
これが心というものの本質なのだと思います。

逃げてはいけない。変えるための努力をせよ! ということですね。


ユングは8つの性格類型に分けて論じていますが、それは外向型と内向型の2類型に対して、思考型・感情型・感覚型・直感型、という4種類の特異性を重ね合わせて、そこに8つの性格型を見る、という分析方法ですが、

知性的タイプと愛情深いタイプ、みたいな二分法で性格分析をしてみても、いろいろと考察することが出来ると、わたしは思ったりしますけどね。

 

 

 

 

 

「論理的でありながら他者の気持ちにも配慮できる、非常にすぐれた判断の下せる人になることはできます。「理屈ばかりで人の気持ちがわからない」と、今の性格を否定するのではなく、それを長所として伸ばしつつ、それ以外の機能を少しずつ耕していく。それが一番いい形での「心の育て方」だと私は思います。


著書の本文では、上のような感じで、知性的なタイプが、愛情深いタイプをも兼ね備えるためには、どうした学びが必要であるかを論じていたりします。

頭がいくらシャープであっても、頭脳の良さばかりに依存して生きてしまうと、頭でっかちで理屈は達者だが、そうした論理思考や知性の働きのみを重視して、情の部分が欠落した人間になったりもしますからね。
これがよく見かけることのある、頭はいいが冷たい人間、クールで頭は切れるが他人を見下すような頭脳型タイプの典型かと思いますが、この手の人は、知性という長所に頼り過ぎて、情の部分がまったく欠落していることに気づいていない、そこに欠陥があることを自覚していないんですよね。
傍からはその欠点が丸見えなんだけれども、頭脳ばかりに自惚れていて、その視点でしか自と他を見ていないので、自分が嫌われていることにすら気づいていなかったりする。
頭がこれほどいい自分を高く評価しないなどという、周りの人間の方が頭が悪いのだ、などと思い上がっていて、この手のタイプの人は、人の評価を、頭がいいか悪いかだけで判断するんですよね。いわば視野が狭い、人間観が知にのみ依存していて偏っている。

ここでは、知にのみ偏っている人の問題点を例に挙げてみましたが、こうしたある部分は発達しているが、別の部分が欠けているタイプは、どのような自己変革努力をしたらいいのでしょうか。

 

 

 

 

日常生活の中で鍛える術としてまず有効なのは、自分と違うタイプの人と仲良くすることです。たとえば、自分の劣等機能にあたるものを主機能として持っている人と恋人同士になるのは、とてもいい開発方法です。なぜなら、自分とはまったく違う発想を持つ人とわかり合おうとすることで、自分自身の劣等機能が少しずつ掘り起こされていくからです。


自分とは対極にあるような、自分が持っていない特性を持っている人と付き合うとよい、と述べられています。
先の、知にのみ偏ったタイプであったなら、愛情深い性格の人と交流してみるとか、そういった、自分に欠けている部分を逆に持っている人から学ぶ、という生き方ですね。これがよいと勧めています。
確かにその通りだと思いますね。

自分と同じような考え方、同じようなタイプとのみ付き合っていたら、自分の限られた視界はいつまで経っても新たな広がりを得ることはなく、狭い世界観の中で見ることから卒業できないでしょう。
頭でっかちの、知性オンリー、知識や知力のみを高く評価して、それ以外の要素は知らんぷり、という人間性から脱却できない。

自分には欠けているところがある、という自覚は、自分の足らざるを知る、自分の分限を本当の意味で理解する、という意味で、人を謙虚にしてくれるし、それは本来その人がそうあるべきような心理状態に、戻してくれる効果があるんですよね。

自分には、長所もあるが、短所もある。長所ばかりに自惚れるのではなく、短所もきちんと直視して自覚して、おのれの足らざるを深くみずからの腑に落とす。
こういう気持ちが、トータルバランスを維持しつつ、自分を見つめることにもつながってゆくし、長所を伸ばすだけでなく、短所をあらためるために他の人から学ぼう、という姿勢を与えてくれるのだと思います。

 

 

 

 

性格の4つの基本機能すべてを使いこなせるようになればなるほど、人間性の完成度は高まって成熟した大人となることができるのです。


思考、感情、感覚、直観。

思考のみが発達しても、それは頭でっかちの理屈屋になってるだけかもしれず、感情や直観力が未熟なままであったなら、その状態で思考のみをさらに磨こうとしても、どこかで頭打ちになりますからね。

膨大な知識を渉猟して、さらに自分の知性が高まっているかのような錯覚に陥りながら、自惚れ心は増長しつつ、実は知性の向かう方向が、自と他を包む大調和の世界からはかえって遠ざかることにもなってしまう。

他の人との交流を欠いた、自分勝手な独り悟りの世界、野狐禅的な個人主義的な生き方になってゆけば、その人の知は、他の人には理解されない、自分のみの特殊な思考に陥っていくでしょう。

他の人と相和して生きてゆく喜びを知らない、そこから遠ざかって独りのみの知的探求に埋没してしまえば、愛を知らない、知のみを求める人生になってゆく。しかし、愛の欠落した知の世界は、本当の意味の知の世界ではありませんからね。
愛の欠けた個人主義というのが、裏側の世界につながってゆくので、独りよがりの生き方をするよりは、さまざまな性格タイプの人たちと、幅広く付き合い、そうした人たちから学んでゆくこと、自分の足らざるところを、そうした他者の生き方・考え方から学ぶことが、大切なのだと思います。

4つの基本性格をすべてハイレベルで兼ね備えたかのごとき人間を目指す。あくまでも理想は遥かに高く、そうした境地を目指す以上は、そこに至らぬ自分はまだまだ未熟なのである。
そうした謙虚な気持ちを有すればこそ、他の人の色んな考え方や生き方を本当の意味で尊重し、そうした人たちから多くのことを学べる生き方が出来るのだと思いますね。