「前世療法」ブライアン・ワイス著 解説 その10 愛する祖父 | LEO幸福人生のすすめ

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マンディという少女だった時の過去世が、ふたたび思い出される。

前とは別のセラピーの時に、唐突に語られ始めたエピソードを聞くうちに、ワイス博士は、これはマンディのときの過去世だな、と気づく。

キャサリンは催眠状態で、その過去世のことを話している。

 

「ええ、馬の世話をしている男の人がいるでしょ」と言いかけて、彼女はしばらく黙った。「その人は私の本当のお父さんではないの」。

私はわからなくなった。 「君の本当のお父さんではないって?」

「よくわからないけど……彼は私の本当のお父さんではないわ。お父さんみたいな人。二番目のお父さんということ。彼は私にとても親切にしてくれるの。彼は緑色の眼をしているの」

「その人の眼をよく見て下さい。……緑色の眼。彼を知っている? 彼は君にとても親切だ。彼は君を愛している」

「彼は私のおじいちゃんだわ。……私のおじいちゃんよ。おじいちゃんは私達のことをとっても可愛がってくれたわ。いつもどこかへ連れていってくれた。おじいちゃんがお酒を飲む所へもよくついて行ったわ。私達はソーダ水を飲んだの。おじいちゃんは私達のことをとても好きだったの」。


2番目のお父さん(母の再婚)として登場したその人物は、今世、キャサリンのおじいちゃんだった人の魂らしい。

スチュアート(当時の実父)とちがって、第2のお父さん(おじいちゃん)は、自分のことをとてもかわいがってくれ、いろいろなところへ連れて行ってくれた、という。

自分をとても愛してくれていることを、彼女の心はしっかりと感じ取っていて、その時のことを思い出すだけで、幸せな気持ちに満たされていることが、言葉の端々に感じられる。

なつかしいお父さん=今世のおじいちゃん。

しかし、その愛するおじいさんは、今世はもう亡くなっていて、キャサリンはもう会えないのだ。

その切なさが彼女を悲しませたのか。キャサリンは、その過去世のシーンから離れてしまう。


ワイス博士は尋ねる。

 

 

「今でもおじいさんがいなくてさみしい?」
「ええ」と彼女は静かに答えた。

「でも、彼とは前世でも一緒だったんだね」と彼女をなぐさめようとして言った。
「彼は私達にとてもやさしかったわ。私達を愛してくれたの。彼は一度だってこわかったことはなかったもの。私達におこづかいをくれたり、いつも外へ一緒に連れていってくれたわ。おじいちゃんもうれしかったのね、そういうことが。でも今は死んでしまった」

「でも、またいつか一緒になれるって知っているよね」
「ええ、前世でも一緒にいたの。おじいちゃんはお父さんのようではなかったわ。二人は全然違うの」

「なぜ一人は君達をとても可愛がったのにもう一人はそうしないの?」
「一人はとても学んだ魂なの。彼はもうカルマを返してしまったの。お父さんはまだカルマを返していないの。彼はこちらへ戻ってきてしまったの。……何にもわからないまま、また同じことをくり返さなくてはならないの」
 

「そのとおりさ」 と私は同意した。「 彼は愛することを 学ばなくては。 愛情を与えて育てる ということを」
「そのとおりよ」 と 彼女が答え た。

 

「もしそのことを学ばないと、子供を自分の持ち物みたいに扱ってしまう。愛の対象である人間としてではなくてね」 
「そう」と彼女が同意した。 
「君のお父さんはこれからそういうことを学ばなくてはね」 
「ええ」 
「君のおじいさんはもう知っていたんだ … 」
「そうなの」


私たちの前にあらわれる近しい魂は、十分に成熟した立派な人もいれば、そうでない人もいる。
素晴らしい人との出会いもあれば、そうでない人との出会いもある。

愛する人と別れる苦しみ、嫌な相手と出会う苦しみ、というけれど、さまざまなタイプの人との縁があり、人間関係の喜びと、悲しみとを、双方ともに体験しつつ、自身の魂の成長を目指しているらしい。

キャサリンにとって、おじいさんは、相思相愛関係にある、素晴らしい祖父だった。
いつまでも一緒にいたかったろうけれど、祖父と孫の関係であってみれば、一緒にいられる期間はおのずと短いものにならざるを得なかったろう。

それに対して、スチュアートとの縁は、よくもわるくも非常に深いものがあって、近しいようであって、敵だったこともあり、必ずしも望ましい関係ではないはずだ。
けれども、過去世からの縁で、引き付け合うものはあるのだろう。学ぶべきことがあるのだろう。

こうしてキャサリンとスチュアートは、今世もまた出会った。
同世代で生まれているので、おじいさんとの関係性とは違って、同時期に生きる年数は遥かに長い。

人生を共有する、という選択も可能だし、その反対に、同時代に生きたとはいっても、それほど近づかない、距離感を持った友人関係で終わることだって出来る。

不思議な話だ。

毎度毎度、同じ関係ではない、というところに、人間関係の学びの複雑さ、深さを感じさせられるように思う。

今世の親子が、前世では逆の立場だった、ということもあるそうだ。
厳しい父親のもとで反発する息子は、前世は立場が逆であって、前世の自分が父親として、息子を厳しく縛り過ぎたことに、反逆されているだけ、なのかもしれない。

夫婦の縁や、親子の縁、兄弟姉妹の縁、友人としての縁、その他、いろいろな人間関係の縁がありえるし、実際にあるようだ。


無論、今世の自分の人間関係のすべてにおいて、その過去世ルーツを、万人が知ることが出来るわけではないだろう。
ワイス博士が退行催眠を行なっても、過去世まで明確に遡って思い出せる人は、被験者のうち、5,6%くらいのものだったという。
そのなかでも、自分の潜在意識が語るだけでなく、マスターたちの言葉まで伝えられる人は、キャサリンの他には、もう一人いただけだった、と著作当時のあとがきで書いている。

これは、幸福の科学的に言ったら、守護霊を超えた、指導霊の霊言を下ろせる能力のようなものだと思うので、よほどに霊的資質が高く、かつ、魂が進歩している人でないと出来ない稀有なる事例なのだと思う。

けれども、この本で紹介されているエピソードから学べることは多いはずである。