私たちがいる「時間」という場所。 | そよぎめぐみブログ

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神仏大好き、お化けは苦手。何が見えても聞こえても、生きていくのだどこまでも。

マヤ暦を主題に続いているので、
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では、ちょっと変わったことを書きます。

昔から未来まで、均一に流れているように
考えてしまいがちな時間ですが、
実は、その時々で滝をはさんでは、
流れる速度や場所を変えているのです。

ちょっと、これまでの私たちについて
ザックリ振り返ってみましょう。


私たちの祖先が一番最初にいた流れが、
一番下の場所を流れていたと仮定します。
いわゆる原人と呼ばれる人類辺りが、
マンモスを倒していた頃を想像して下さい。

狩猟と採集をメインに、集団での生活。
生きることが第一の目的。子孫を残さねば。
腕力や体力が生きるための大切な要素。
そんな厳しい時代。


これが、ある程度時間が経つと。


広がる田畑がある、土器の時代になります。
土地や食物を所有することで貧富の差が現れ、
小さな集団ではなく「村」が形成され、
弱肉強食からルールある社会へと変化します。

社会ができると、お金が登場したり、
「家」を守ると言う新しい考えが出てきたり、
「生きる」ことにプラスした価値が、
大切にされてきます。

そして忠誠であったり、世間体であったり、
「集団として生きていく意味」みたいなものを
必要とするようになっていきます。


この二つの時代・文化の間には、
大きな精神的変化があるように思えませんか。
それぞれの時代の中でも、沢山の変化は
起きているのだとは思いますが、
格段に、驚くような違いがあるように思えて。

この精神的変化こそ「滝」を通った結果だと
私には思えるのです。「ある程度時間が経つと」
と言う一文の間に、恐らくそれが起こって。

集団として生きていく意味や新しい価値が
生まれたのは、下から二つ目の場所を流れる
川だったと言えるわけですね。


更に、私たちの先祖は、新たな滝を通ります。

家を守るために死に戦に出かけ、腹を切り、
国を守ろうと特攻して行った若者の背中を見送り。

とうとう、「君死にたもうことなかれ」に
象徴されるような、個人を思うと言う観点が
表に出て来るようになります。

家、会社という単位が徐々に価値を弱め、
個人同士の競争が一番と言う社会を通りぬけ、
一人一人が大切な世界の登場につながります。

個人として生きて行く意味。自己能力の開発。
「私」としてのプライド、主張、受容。
心身共に、自分の足で立って歩くことの重要性。


この、下から三つ目の場所を流れている川、
これこそ、今私たちがいる川です。
私たちは「世界に一つだけの花」として
咲き誇ることを許された幸せな世代です。

では、次の滝を超えると、私たちはどんな
場所にたどりつくのでしょう。
事前説明が長くなっちゃったので、
その本題は、また次回で☆