+ 本を読む理由を見失ってしまった。 | around the secret

+ 本を読む理由を見失ってしまった。

atorantis

 どこの店だったか・・・・・・関西だったと思う。

 「うわぁ、めっちゃ好み!」と思ったら、19の頃一目惚れをして(当時の私にとって)大枚を叩いて買った机と本棚と、同じメーカー同じシリーズだった。アトランタという。店舗で撮影。


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 引っ越しの本棚の整理をしていて、不意に「これ全部、要らないんじゃ」と恐ろしい考えが過ぎる。 半数が、古くなって着れなくなった服状態。懐かしいから取ってあるだけの。

 

 本好きの、理想論が大好きな私の性格は多分母方譲りで、叔父と祖父は書く事を生業にした時期もあったそうなので、母も本当は小難しい文学少女だったのだろう。 だけど私は母が若い頃、どんな本を読んでいたのかを知らない。実家の本棚の半分は父が40代の頃に読んだのであろう、「如何に生きるか、いかに仕事が出来る男になるか」等の自己啓発書や、実用書。後は有名で良い本だが、無難すぎる本ばかりだ。母よ、サリンジャーや、安吾は、処分してしまったのか?でも、多分その話は、母とはしないだろう。いや、一生に一度くらい、しておいた方が良いのか?


  無難といえば、両親は年配の友人から200冊以上のクリスティの類を譲り受け、はまっていた時代があった。私が10歳そこらなので、親は40代中盤の頃だっただろうか。今思えば、当時中学生だった兄の為だったのかも知れない。
 ・・・・・・その本をガサっと捨ててしまった時のことを覚えている。今思うとその本達が両親をどこへも連れて行けなくなってしまったからだろう。

  
 「大人になったら家中をアトランタの家具にする」と夢見ていた19の私が買った本棚は、もういっぱい。中には、「何で買ったんだろう。でも捨てるわけにはいかないし」という本もあり、でもそれらは確かに私の青春時代を彩ったもので。


 最近読む本は、通勤の時間つぶし。もしくは元気や知恵をくれる実用書や仕事の専門書。大好きだったマイケル・オンダーチェも、他の本は理解出来なくなっていた。今の私は何かに変身しようとも、どこかへ飛んでゆこうとも思っていない。この歳になって折角安定稼働してきた私というシステムに手を入れるのは怖いし、信用にも繋がる。ガムのように、飲み込まずに本を味わう。


 そんな事を想うと、本を購入するという事が出来なくなってしまった。

 しかし、それって不自由このうえない。


 ・・・・・・暫くは図書館に通ったり、友達と本を貸し借りしようと思う。本当に感銘を受けた本なら、買えば良い。そうした本なら、本棚を溢れさせてしまっても、私の属性として想い出にもなるだろう。