では、「すべての人が既に自由である」という大胆不敵な仮説を述べますね(^o^)
このことを説明するのに、逆からの視点からの方がわかりやすい。
つまり、「不自由」とはどういうこと?
どんな時、不自由を感じるか。
と考えると、「強制的」「選択の余地がない時」「上から抑えられている時」
という「具合」ですね。
しかし!
どんな状況であれ、人は人の意志を奪うことはできないんです。
例えば、すごい権力を持った上司に仕事を強制されても、受け止め方や、行動の仕方は選択できるはずです。
小さな小さな視点で観ると、たくさんの選択の余地があるもんです。
また、他人からいくら強制されて素直に遂行したとしても、結局は自分で選択しているということ。
ある意味で強制を受け入れたという点では、自由と言えるわけです。
ブログなので、結論を急ぎます。
人間に意志がある限り、人は自由であると言えます。
(意志があるから不自由という概念もありますが。)
外部から来た事を、「自分」が受けるわけです。
自分が自分である限り、他人は侵略できない。他人は自分にはなれない。自分は他人にはなれない。
今回は、ちょっぴり哲学的でわかりにくいかもしれません。
「自分と他人の境界線とは。」というやっかいな哲学も絡まってきますもんね(^o^)
今度は違う視点で話を進めていきます(^o^)