以前に少し書いた通り、抖勁を時々思い出しては練習しています。
これが出来ると大変便利なのですが、まぁ必ずしも出来なくても良いと思っています。
良く言うのがラーメンの香味油のようなもので、あった方がおいしいけどなくても料理としては完成します。
ちょっとしたフレイヴァ、ちょっとしたトッピングです。
名前の通り、わずかに震える程度に必要な感じです。
これの左側のがどうもうまくないので、ちょっと練習しています。
基本的な発勁の段階としては、まず重勁が本来必要な物です。
我々の母拳となる八卦拳は、またの名を重拳とも呼ばれている通り重さを追及してゆくのですが、この重勁の段階でそれを学びます。
単純に、生まれつきの腕の重さを支えている筋力をオフにしてゆくことでこの力は生まれます。
勁力の第一段階です。
次に、筋力を抜いたところに鉄線功で鉄線の勁を入れます。
ただ、この順番だと力み癖のある人には難しいので、私は先に鉄線を入れてしまっています。
その上で、鉄線の勁と拙力とを比較できる状態になってもらって、後者の方を抜いて行く形で勁を純化させていっています。
そして後力を全身に通してまずは完成。
そののちに、マーユの抖勁があるのですが、実はこの間にちょびっとアレンジがあります。
それが、後力の強化となる姿勢の変化です。
これがあると、ものすごく定力が強くなって発勁が強くなる。
なので本来はここで完成させてしまってもいいのです。
これは蔡李佛としての枠としてもそうだと思いますし、把の武術としても実はそうなのです。
しかし、たまたま私は抖勁を把の武術から経験していたので、ここまでを道のりとしました。
ただ、おそらくはお手本にしている形意拳の先生などを見ても、これはしていないように感じるのです。
なので、なくても充分にやれるのだとは思います。
ではなぜ、うまくできないのをわざわざ練習しているのかというと、面白いからです。
いくらやっても飽きが来ません。
私はナルシストでもなんでもないですが、自分の身体だけあれば一生楽しめると思っているフシがあります。