サウス・マーシャル・アーツ・クラブ(南風武術倶楽部)のブログ

気持ちよく生きるためのライフスタイルとしての南派拳法(カンフー)蔡李佛拳とエスクリマ(フィリピン武術)ラプンティ・アルニス・デ・アバニコを横浜、湘南で練習しています。グループレッスンは\2500プライベートレッスン\7000です。アドレスsouthmartial@yahoo.co.jp

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 Hi i'm master suiko.

 If you want to play arnis,come on join us.

 arnis is philipino national sports.

 you pay only tipping.

 This is very ceep!

 let's play your hobby in your life.

 

 next lesson is 15th saturday  at AM10 in kannai oodoori kouen  mizunohiroba. here↓

http://loco.yahoo.co.jp/place/g-RGiBu1M3pSA/map/

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 今週の土曜日は14時から大通り公園になります。

 よろしくお願いしまーす。

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 保安関係の方のPLもだいぶん進捗しました。

 前回からアルニスを入れてやっているのですが、そちらの古典技術も少しづつ磨いていっています。

 古伝の剣術は、こうしてやってみるとやはり、形にするまでに少し時間がかかります。

 重層的に概念が積み重なって深い体系を形成しているために、最初の段階で全貌を把握するのに時間がかかります。

 アルニスにおいてもただ刃物で打つという考えだけで判断するならそう難しくはないのでしょうが、刃物ではなく棒であったり、またフェンスの概念などを考えると何気ない一つの動作にものすごくたくさんの要素が入っていることが分かってきます。

 そうすると、たちまちただのチンパンジーの棒振りではなくてチェスの要素が重要になってきます。

 身体能力で勝る動物を戦略で追い込んだのがそもそものフェンスと言う意味だということを振り返った時、フェンシングと言うのは実に知的な戦略合戦になってきます。

 そのため、いまでもアルニスは知的な戦略の要素を理解しないと本当のことが見えてきません。速度に幻惑されてしまいがちなのですが、その奥にあるものが本質だと思います。

 一手ごとの精度に拘らず、全体での流れを重視するそのやり方は、知的な人であればものすごく早く体得できるものです。

 特に我々のラプンティ・アルニスはアウト・ファイトではなくて密着戦をするために、速度と威力でのラッキー・ストライク任せの要素が減ります。

 本日もコツコツと基本の概念をいくつも折り重ねてきました。

 身体能力の世界しか知らない人からするとまどろっこしく感じるかもしれませんが、このような物であるからこそ、力に勝った相手に戦略で勝るものとなりえるのでしょう。

 とはいえ理解に最低限は時間がかかる。まあ当然なのですけれども。

 しかし、ここで頼りになるのが実はハワイのカリの練習法だったりするのです。

 とにかく簡便ですぐできるようになるのはこのカリのいいところです。

 友人のJKDインストラクターが「カリは簡化なんだ」と言っていたことがありましたが、家伝のスタイルと比べるとその速習性がよくわかります。

 現代式の普及システムであるモダン・アーニスでさえ、理解には三年かかると言われます。

 そこから考えてみても、太極拳と同じくよくまとめられた簡化の存在と言うのは初学者には効果的なものです。

 本日もカリの練習方法を用いつつ、そこにきちんとラプンティ・アルニスの極意を入れて稽古をおこなってゆきました。

 みるみる実力が上がってゆくのが感じられたものです。

 この調子なら、三か月もすれば一回りの練習は終わり、半年もすれば一人前になることでしょう。

 現代日本人への伝授として、私も無駄のなさを重視しています。

 一人前になってからの先は、無限に続くアートの探求が待っています。

 相手をノックダウンするのでもなく、投げ技で倒すのでもなく、ただ力の方向を誘導して自壊させてゆく技術は、職務として保安業務で用いるには実に有用なです。

 現在のようなエクストリームなアクションやミリタリー風のアクションが流行する前の海外ドラマや映画では、何気ない制圧シーンなどに地味ですが説得力のあるこのような技が用いられていました。

 xファイルのスカリー捜査官などはなかなかの達者でありましたよ。

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 先日のWSで、また一人WSだけの参加なのに発勁ができるようになった方が現れました。

 もちろん、発勁が目的地点ではありませんが、正しく身体とつながるための方向性としては必要です。

 これは陰陽思想で、自己として認識している自分を、いったん精神と肉体に分割して解釈して、身体の知っていることを精神はすべて知っているわけではないというスタンスに立つという考え方です。

 その上で、その身体の法則を通してさらに目的へと向かいます。

 その目的地とは何かといえば、タオです。

 中国では、孔子様が古代社会の時代から「古代に帰れ」と回顧主義を唱えていました。 

 孔子様の思想では、そこに人徳主義による素晴らしい人治主義の王国があったからだ、と言うのが前提になっています。

 これは世界中の神話に共通する、古代は神人が治める理想郷であった、という発想です。

 それに対してタオイズムでは「天に仁なし」と言ってその神々の黄金時代の存在を否定しています。

 そんなものはなく、天地には自然に働いている気という物があって、その法則がタオであり、そこにのっとって生きることこそが聖であり、徳であるのだと言っています。

 気と言っても近代に以降の日本人が大好きな気合や精神の力とはまるで反対のもので、なんのことはない、自然の力と自然科学の物理の法則のことです。

 つまり、孔子様が実社会でのモラルを説いたのに対して、タオでは科学を旨としました。

 回顧の方向でいうなら、孔子様が古代の神人の社会を目指したのに対して、タオでは進化論的な野生動物の生き方を目指したと言って差し支えないと思います。

 のちの儒者の考えからしたら見苦しいというの思われかねないような、動物の姿勢や生態を規範としたのです。

 野生の動物というのは適者生存をしていますので、模倣すれば自然に適応した生き方ができるので、自然にかなっている、という次第です。

 人間も本来そのように生まれたはずなのですが、大脳が発達しすぎたためにそれが難しくなってしまっています。

 人間だけが持つ人間性、自我の部分が自然の法則からすると理にかなわないことをしてしまうわけです。

 そのために、気功や中国武術では自我を薄めて肉体の中にある自然にかなった生き方を学んでゆきます。

 昨今、身体開発流行りだとかでボディワークとやらいう言葉がもてはやされています。

 しかし、これは我々古典の武術とは逆行する物のようにも感じます。

 思想がないまま単に体を自分の都合の良いようにいじくりまわしていくということは、エゴの仕業以外の何物でもない。

 目先の結果は追い求められるでしょうが、その結果がどのような形で出てくるのかまでを検証したものはどのくらいあるのでしょうか。

 かつてのうさぎ跳びなどと同様の危険性を感じます。

 自己流の新武術やスポーツのインストラクターに、一度何を根拠にどこを目指しているのか伺ってみたいものです。

 我々の考え方では、先に述べたようにまず自我を薄れさせて身体が動きたいように動けることを目指します。

 そんなわけで稽古中は「そのエゴ捨てて!」とか「あー、いまのやろうとしたエゴが引っ掛かった!」「その結果を出そうっていうエゴ! ダメ!」「頑張ろうとしないで! やろうとしないでください!」というような言葉が繰り返されます。

 うちの筆頭学生さんは初め「何を言っているんだろう?」と思っていたそうです。

 しかし、自分自身を自分の意志と肉体と分割して感じられるようになってくるとこの意味が分かってきます。

 先日できるようになった方も、人を勁で跳ばしたあとに「出来てる実感が無い」と言っていましたが、そう、自我にそういう物は返ってこないのです。

 それを求めることがもうエゴの執着なのです。

 自分が頑張って何かをして力強い抵抗があるのだけれど一生懸命それを振り切ってなんとかできました、やりきりました、満足です。というような物ではないのです。

 ただ、何気なくやっただけなのに突然相手が今までよりはるかに軽くなってしまって触っただけなのに跳んで行ってしまった、というのがあるべき状態です。

 私の大好きな昔のマンガ、アラレちゃん状態です。

 タオに関する見解が未発達な武術でよく言う「力を抜いて」というのは、このような過程をすっ飛ばして結果だけから逆算して出てきた言葉なのではないかと思います。

 もちろん、内側が開発されていないのにただ力を抜いただけで何かができるようになったりはしません。そういう嘘に騙されては不幸です。

 今回できるようになった方は、まだ勁が弱いのでそれまでの力よりは強いのですが、まだトータルでいうと強くはない。

 逆に、別の方には内在的にはとても強い勁を持っている方がいます。

 そのために人に押されてもそんなに飛ばないのですが、まだその勁を外に伝えることができていません。

 なぜ出せないのに勁が強いかわかるかというと、打たれたときに勁で跳ね返す力がとても強いからです。

 これを排打と言います。体内の勁で外からの勁を相殺しているのです。

 なので確実に強い勁があるのですが、外に出そうとするとやろうとしてエゴが邪魔をして勁の運用を切断してしまう。

 何かをやろうとせずにただやられるがままに立っているときには、はるかに強く勁が働いているのに。あと一歩です。

 このようなときに、あぁすればできるんじゃないか、こういうやり方ならうまくいくんじゃないかと、目先、小手先の技や手法に囚われれば囚われるほど意図が強くなって発勁は阻害されます。

 禅の言葉に「悟ろう悟ろうとするのもまた執着」という言葉があるそうですが、そのような物でしょう。

 それよりも、内側の勁の働きに任せてそちらを強くし続けていたほうがいまはいいでしょう。

 いつか出るようになったときに、巨大な力が発揮できるはずです。

 いまだ出せない強い勁と、出すことはできたけどまだ弱い勁、どちらが良いかなどと比べるのもまた誤った見方でしょう。

 大切なのは、真実に沿っているかどうかということです。

 自分の都合に拘っては危険です。

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 二月の関内ワークショップも無事終わりました。
 今回、みなさんそれぞれに進捗があり、課題が明確化されたことが非常に良かったです。
 特に一名、ようやく内在していた勁を外に出すことに成功されたのは大きな成果でした。
 もちろん発勁ができるようになるというのは一つの目安でしかないのですが、そこを越えると全体が自分でわかるようになるので修行の階梯としては非常に重要なものとなります。
 本人は、手ごたえがないのでできてるのかできてないのかわからないと言っていましたが、手ごたえはないのでそれで良いのです。
 手ごたえはないし特別なことをしてる気もしないのに相手が急に軽く感じて飛んで行ってしまうというのは、内側の勁がきちんと作用している証拠です。
 人間はどうしても、手ごたえを欲しくなるものなのですが、手ごたえはどこかの力みによって反作用を感じているという物になるので、それがあっては勁は発することができません。
 なので手ごたえと我々の発勁というのはそもそもが共存できないのです。
 そのために、ここは結構に大きな壁となります。
 錬功法で養った体内の勁を、ただ素直に出してあげるという以上のことは何もしてはいけないというのが、最初のうちはどうしても難しいのです。
 手ごたえを感じたい、特別な技のようなことをしないとだめなのでないか、失敗をするべきではないという思いがすべて裏目に働きます。
 それがいつもいう、エゴによる妨害です。
 自我の働きが肉体の感覚の自然な作用を妨げている。
 大切なのは、相手に意識を向けることではなくて、体内の正しい在り方を維持することです。
 相手に合わせるとそちらに体の在り方が寄せられてしまう。
 このために、まずひたすら体内の正しい在り方を感じるということが重要になります。エゴによる誘惑でそれを崩してはいけない。
 相手を打ち飛ばしたい、やっていることの実感を得たいという状況を理解して安心感を得たいという支配欲求が、すべてを阻害します。
 心身を寛がせて、相手も自分のエゴをも含んだ静かな調和の状態にあることが大切。
 だからこそ禅なのであり、精神に安定を持たらせることができるのです。
 私にとってはそれ以外の意味は武術にはほとんどない。
 今回うまくいった方は、外界的な成功、不成功とは別のものとして、自分の内側が「整っている」ということを薄くではありますが実感し始めることに成功しました。
 発勁を獲得したということは、体内にあるタオの働きを掴むことができたということです。静かな自然の働きの流れの存在です。
 あとは、もうその内側のタオの働きに忠実であれば、自分でなんでもできます。
 エゴによる動きや欲求ではなくて、内面の正しい働きにとって何が必要かというのは、その正しさの感覚が教えてくれます。
 常に内側を感じながら生き続けるだけで、どんどん内力は強くなり、健康と心の静けさはましてゆきます。
 外の世界や自分のエゴの騒がしさとは別のところに、もう一つの場所が見つけられたのです。
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