サウス・マーシャル・アーツ・クラブ(南風武術倶楽部)のブログ

気持ちよく生きるためのライフスタイルとしての南派拳法(カンフー)蔡李佛拳とエスクリマ(フィリピン武術)アルニス・デ・アバニコを横浜、湘南で練習しています。グループレッスンは\2500プライベートレッスン\7000です。お問い合わせはこちらです。southmartial@yahoo.co.jp

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 最近偶然見た興味深い動画です。

https://www.youtube.com/watch?v=8Vtzi-jk9HU

 大変に私たちの学ぶ蔡李佛拳に近い用法連です。勁も同様に見受けました。

 また、同時にこれは、非常にラプンティ・アルニス的です。

 ラプンティの土台になっているカンフーと何か関係があるかもしれないと思っていたのですが、そもそもこれは……何拳?

 見ているうちに蟷螂かなあと思ったのですが、て本場で学んだ友達からもそのように確認を得られました。

 その蟷螂拳、総合少林拳なので蔡李佛とはもともと似ているようです。それもその友達が最初に私の拳を見たときに言っていました。彼自身は蟷螂が本門ではないのですが、師父が世界的な蟷螂の高手なので、非常に近しく知って居るのです。

 となると、総合少林拳に似ているラプンティということは、やはりそのような物が流れ込んだのでしょう。

 地域的にも、少林武術をまとめて広めた南派である可能性は高くあります。

 また、フィリピンの少し北が台湾であることを考えると、様々な少林拳が伝来してもまるで不思議はない環境です。

 ちなみに蟷螂は、私たち日本人は完成された物から見てしまっているので高級な技法のある有名な拳法と言う印象がありますが、実は現地での姿はちょっと違うのだそうです。

 とにかく習ったその日に使える喧嘩殺法みたいなものを寄せ集めたような拳法、というのが現地での姿なのだと何か所からの方面から聞きました。

 その上で、段階を追って高級技法を入れてゆくのだそうです。

 なので、段階によってまったく中身が変わることが想定されます。冒頭に貼った動画ではきれいな暗勁を放っているので、かなり高級な段階に進んでいることがわかります。

 武術には、段階とカテゴリライズがあります。

 我々外国人はどうしても、大人になってから武術を始めるので内功や発勁が練習の中心になります。

 そのために、回族武術が日本人には適した体系だと言える気がします。

 中華圏だと本当の家伝武術を学ぶ人は子供の時から練功をします。

 それらを童子功と言います。

 暮らしそのものが中華武術を体現するための物であるため、その中で骨格や靭帯、筋、内臓の配置などもすべてそのため物に変えてゆきます。

 以前もここに書いたと思いますが、台湾の鶴拳の老師も幼いころから木の枝に逆さづりにされて、下に置かれた石に向かって釣瓶落としにされて頭の硬功夫を鍛えさせられたと言います。

 その上で技法に入ります。

 甘やかされたそこら辺の現代社会のサラリーマンのおじさんが手わざを覚えて振っているのとはまったく話が違います。

 鉄掌をやって指が曲がらなくなり、物を掴むときには指を横に開いてカニが挟むようにしてつまむという人や、抜き手(穿手)の鍛錬で親指をのぞく四本の指の長さがそろってしまっている少年などを目撃したという話を、現地で修行した人々から聞きます。

 中国武術の練功法が人体改造術である以上、生まれたときからそのようなことが行われている人間に、後付けで技を学んだだけの人間が及ぶわけがない。

 街の道場や練習会に通っている程度の現代人が、そのレベルで強いだ弱いだ勝つだ負けるだ実戦だ護身術だと息巻いたところで、そんなものを何十年やっても、家伝武術をしつけられてきた子息の前に立てば気づきもしないうちに倒されているでしょう。人生の浪費です。

 中国武術の都市戦においては、暗器の使用が中心になっている傾向があるそうです。鍛えた功を使って、見えない道具に威力を持たせるのです。
 呼吸法をひたすら練習している人は、強力な含み張りを打ち放ってきたりします。
 小手先の技がいくらか仕えたところで、そのような物にはまるで無意味でしょう。
 だからこそ、以前も書いたように、そのような自らのエゴに由来するような欲求のために稽古をするということは無意味なのです。
 なぜなら、その欲求は絶対にかなわないからです。そこらへんで練習をしてサイキョウなることはありません。
 大人なんだからホントは分かってるでしょうに。
 初めから叶わない欲求に向かってる振りをして自己満足をするというモラトリアム行為が本質である、という人にはちょうどよい需要と供給の関係が出来るのでしょうが。
 だからこそ、いつも書いているように、そのような相対的で功利的な物とは別の価値を見出さないとならないのです。
 私は本物の世界を知り、本当のことを学ぶことが出来たので、そのこと自体に満足しています。
 それは先に書いたような家伝武術の継承者からしたら「間違ってる訳じゃないけどそれだけしかできないの?」というような物でしょう。
 ましてや、正伝や真伝でもないような物など、失笑物の世界でしょう。
 このようなことを言うと、とてもそんな人たちがが居るとは信じられないというような世間知らずが居ます。
 中国雑技団を見たことがないのでしょうか。
 信じられない超人技を、子供の頃から仕込まれて行える人たちはゴロゴロいます。
 それは特別なことではありません。
 私の祖母などは、よく中華街に行くと纏足をした女の人を見たと言っていました。
 戦後までは普通の存在だったのです。
 薬と矯正具で、人体を改造するという風習が、武術家でも芸人でもない一般家庭で当たり前に行われていたのですよ。中国文化というのはそういう物なのです。
 ただの日常的な風習でそのレベルなのです。能動的に術を極めようとしたら一体どこまでいくことやら。
 そのような、人類の歴史や学問、可能性と世界の広がりを感じることで、私たち現代人は自らの精神を閉じ込める窮屈な社会通念から解放されることができます。
 それを体感することで、魂を自由にして命を活かしきることができます。
 社会通念に対応するのに、ヴァーチャルやウソでも良いのでしょうが、本物はちゃんとこの世界の、手を伸ばし、足を運べば届くところにあるのですよ。
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 2月の12日、日曜日は朝の10時より茅ヶ崎での練習になります。

 

 19日の日曜日は、フレンドダンス教室で18時から関内ワークショップです。

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 マニラから帰ってすごく変わったことがあります。

 それは、アルコールとコーヒーの摂取量です。

 留学中には、ネズミとゴキブリが走り回るコンドミニアムに宿泊して、食事を摂ったらすぐに翌日に備えて早くから眠り、起きてはまた勉強と訓練の繰り返しで観光もしないという生活をしていたのですが、そうなるとさぞ部屋でお酒をたくさん飲むことになりそうなのですが、全然そうではありませんでした。

 日本に居る時には、昼間の仕事の合間合間でコーヒーを飲んで、なんとか一日三杯までにとどめようとしていたのですが、ついつい四杯になってしまう日もありました。

 しかし、そのコーヒーも、フィリピンでは一日にカフェにいるために一杯飲むだけの暮らしをしていたら、帰国してもまったく飲みたくなくなりました。

 ちょっとした甘口の座房生活のようなことをしていたら、自分にとって必要な物だけで自分が満足できるということを知ることが出来たためのようです。

 いまやアルコールは、ホントに舌に消毒用の脱脂綿を押し付けた程度にしか飲まないし、コーヒーは初めの二口くらいでもうよくなってしまいます。

 飽きてしまうのではありません。

「あー、おいしかったなぁー」と思って満足してうれしくなって、で、もうそれ以上飲まなくてもよくなってしまうのです。

 満たされて充分になっています。

 これ、タオでは知足、足るを知る、と言います。

 人間はエゴに振り回されて、本来必要で無い物を欲しがったり、憎む必要のない物を憎んだりして人生を浪費してゆくというのがタオや仏教的な見方です。
 解脱思想においては、そのようなエゴを離れて自分が本当に望むものやその度合いを知ることで満足した人生を送ってゆくことを目標としてゆくのですが、実際に古典にあるような教えを参考に生活しているとそのようになります。
 このことには、ただ教えだけでなくて行の部分が直接に作用していると言うのが私の見解となります。
 その行というのが、気功であり、武術となります。
 天気が良いだけで内側から悦びがわいてくる。そよ風が当たるだけで人生に満たされる。そのような状態になるのは、自律神経と脳内ホルモンの働きに、気功や武術の内功が作用しているからであると言われています。
 常にリラックスして気持ちよくいられることで、免疫力や回復力が上がって健康にいい、ということです。
 それどころか、常に喜びに満たされて生きているということは、それ自体が人生を大きく変えることになると思います。
 私自身は、かつて十年ほど睡眠障害を患っていましたが、いまは誰よりもあほのようによく眠る人間になっています。
 心身の健康のために、快適な人生が悪い訳がありません。
 そんな訳で大抵の時は充分に幸せなので、一口のコーヒーでもう十分に内側が満たされて、それ以上は求めなくなってしまうのです。
 先日、五つ星お米マイスターという方のお話で聴いたのですが、本当においしいお米というのは、季節や場所、一緒に食べる物などで常に変動するのだそうです。
 この辺り、気功の思想と一致するのが面白いです。
 気功と言うのは、自分の内側に働いている物である内気と、外の自然界の外気が協調すると調子がいいよ、という考え方です。
 自然界の植物や農作物も外の気の結晶なので、それと季節や場所が関係するのは実に理にかなったことです。
 そして、それを内に取り入れる際に、協調していれば快を感じるので、おいしいと思うわけです。
 お米マイスターというのはそういう調整をするお仕事のようです。昔で言えば方術ですね。
 そのマイスターが言われるには、子供に最適なお米を食べさせていると、食べ残しが無くなるだけでなく、満足して欲が満たされるのでジャンク・フードやお菓子などを求めなくなるのだそうです。
 大人の場合は、同じ理由でダイエットになるのだと言います。
 人生に満たされていない部分があると、そこからくる足りない物を埋めるためになにがしかの物が欲しくなることがあります。
 これが食欲やアルコール、煙草、ゲーム、買い物などに反映することが多々あります。
 その欠落を補い、人生に満たされると、結果として欲が薄れます。
 私はいまの自分のこの状態がとても気に入っています。
 かたやで、ラテン系の人々にはパッションという考え方もあり、欲望のままに命を燃やすのもまた一つの生き方として認めてもいます。
 どちらにしても主体は自分にあり、周りに流されていないことで自分の人生を確立していますね。
 
 
 
 
 

 

 

 

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 土曜日は、なぜか通常稽古が二回回しとなっております。

 午前の部は10時から。

 午後の部は14時から。水の広場にてになります。

 

 そして、日曜日は東京にラプンティ・アルニスが初上陸します。

 22日  日曜日 ラプンティ・アルニス初伝来感謝祭TOKYOhttp://ameblo.jp/southmartialartsclub/entry-12226283879.html

 ぜひいらしてください。

 

 お問い合わせはこちらまでお気軽にどうぞ。

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 最近、「こころに剣士を」というエストニアの映画を観ました。

 そこで初めて知ったのが、剣士という言葉を英語でなんというか、です。

 みなさんはご存知ですか?

 SWORDSMAN?

 それも正しいです。

 いつも使っているネットの辞書で調べたところ、まず第一にそれで、二つ目にはA FENCERとありました。

 映画で使っていたのもこちらです。

 つまり、柵をする人、という意味です。

 フェンシングの語源はそこにあるといいます。

 ちなみに、ボクシングの語源はBOXする、です。閉じ込める、という意味だそうです。相手をロープ際に追い込むというのがスタートにあったようです。相撲もそうですが、試合場の形がそのルールの特徴にあることは多々見られるようです。

 現代のフランス式フェンシングを見ると、ルール上前後以外に移動することが禁止されているためか、剣先で相手の攻撃を払いあうのですが、おそらくこれは西洋剣術の長い歴史の上では極めて異例の物ではないかと思います。

 語源にある柵をするような動作が見られる距離での攻防が無い。

 エスクリマのルーツは、スペイン剣術にあります。

 現代のスペイン語ではフェンシングをエスクリムと言い、フィリピンに伝来した当時はエスグリマと言ったと聞いています。

 この時代の剣術の形跡は、古いエスクリマに多々見ることができます。

 ラプンティ・アルニスでは基本の段階では全ての防御をヴァーティカル・ブロックで行います。

 両手でバストンを持って前に立てて受け止めるという非常に泥臭い防御法です。

 これの応用で、真上や真下から来た時にはバストンを地面と水平の角度にして同様に防ぎます。

 段階が進んで慣れてくると、左手を放して右手だけで守るようになります。サムブラダであるような多彩な防御法が出てくるのですが、しかし、これ実は左手を放しているだけで実際は中身はヴァーティカル・ブロックの構造なのです。

 そのため、バストンが接触したら必ず左手を使って衝撃を流します。片手だとそのまま押し込まれるからです。

 その、受け止める→払う→打ち返すという流れが基本の動きとなっています。

 これは古典のエスクリマの時代からある動作のようです。

 そして、これこそまさにフェンシング、柵をするという囲いの動作そのものです。

 ラプンティ・アルニス・デ・アバニコの名前にあるアバニコという扇子を振るような手さばきの動作も、実は全体で見ると柵を張るという動きの一つの表現であることが分かってきます。

 こうなると、ただいたずらにきっさきを振り回しているだけの物とは見え方が変わってきます。

 根本は防御からの反撃であり、その思想は柵を張り巡らすという動線の確保にある。

 このことが分かると、古いエスクリマの本質が見えてくるように思います。

 これは、新しいループしてグルーヴ感のあるフィリピン武術とはまた違う、古典の理解においてとても重要な物に思います。

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