僕は酷く心が幼いから。
誰かの気持ちとか行動にずっと意味を求めなかったり、探さなかったり、鈍感で無頓着でいたら、その人がどんな人物なのか…
良い人なのか悪い人なのか「なにか」が起きないと気付けなかった。
でも、その「なにか」が起きてしまってからでは大概遅くて、だから、「なにか」が起きてしまって初めてその人と向き合って、後々後悔してしまう。
相手が出してるその一瞬の表情とか言葉とか行動は、意味を持っていない様にみえて、一時の空気とかに流れてスルーしちゃうけど、
自分に置き換えて考えると、それは意味を持った信号だって事に気付く。
なんでもそうですよね。
自分がその立場になって初めて感じる事って結構ありますよね。
最近、レポートとかブログもそうですけど、誰かの為に書く文章ってこんなに難しいんだって、書く側になって初めて分かりました。
だから、ずっと担任の先生が書くホームルームに配られる何気ないプリントを、僕は今までぞんざいに扱えたけど、今はそんな事出来ないです。だって自分に「なにか」が起きたから。大変さが分かったから。
でも、先生のくれるプリントも、もう残りわずかしか読む事が出来なくて。
凄く今後悔していて、そういう事が本当に多すぎて、そうやってしか成長出来ない自分が、悔しくてたまらない。
だから、他人に嫌な事をして自分の心が傷んだり、良い事をしたら自分も嬉しい気持ちは、実は自分があって始めて成立するもので、
そうやって、考えると。
ヒトと自分は物凄く近い所にいる。
何も知らないのに距離を感じてしまうのは、本当は自分を知らないからなのかもしれないなって思います。
だから、「なにか」を待ったり、「なにか」が起きてからではなく、今ある「なにか」を見つける。
「なにか」は常に起きていて、「なにか」を求めている。
この事に気付くのも今まで色んな「なにか」があってこそなんですけど。
とりあえず、ヒトに優しくなれるのも自分が優しいからなんですよっ♪
だから、「あー、僕はなんて優しいんだぁー」と思ったら、ご褒美にじゃがりこ買ってあげたいと思います。