中込 空くん
救う会のHPhttp://www3.ocn.ne.jp/~sora-net/index.htm
ご両親からの言葉http://www3.ocn.ne.jp/~sora-net/family.html
私の言葉を交えて、ご紹介させて頂きます。
空君は現在19歳ですが、身長は147㎝と年齢に比してとても体格が小柄だと書かれていました。
空君は、日本国内で待機できる年齢と考える方も多くいらっしゃると思います。
しかし、身長から考えると現在の成人からの提供での適合は難しいと判断されての渡航となったのではないかと考えます。
改正臓器移植法が施行されてから、脳死下での臓器提供は17例、その中で心臓の提供は13例になると知りました。しかし、現在の状況で、小児からの提供はありません。
その背景には、様々な要因が考えられるわけですが、それが現実です。
臓器移植に関わられている方々からは、「小児からの提供の可能性は0%とは言い切れないけれど、これから数年は難しい現状は続くのではないか・・・」という声が多く聞かれます。
提供するもしないも、それぞれのご本人とご家族に与えられた権利ですから、提供しなければいけないことはありません。社会や医療の中で、どちらの選択も強要されてはならない権利です。
なので、医療の現場で、今まで実施されてこなかった小児の脳死下臓器提供を考えた場合、間違いや誤解は許されない社会状況にありますから、とても慎重に(例えば医療環境の整備などから)進んでいるのなら、それも仕方のないことと思います。
日本では、脳死下臓器提供移植は成人ありきで進んできた10年。
小児の移植医療は簡単に言えば、医療の現場で成人の移植と比べても実施環境に10年の遅れがあるといってもいいように感じます。(医療を享受することに成人と小児に差があってはならないことだと思いますが。)
そのような背景の中で、19歳という年齢で渡航移植を決断された、空君とご家族のみなさん、そして、救う会の方々。
空君は、筑波記念病院(茨城県)からの渡航になるそうですが、入院までは山梨県に住んでいました。
山梨大学医学部附属病院に入院し、今年2月には血漿交換療法も受けています。
さらに、不整脈を発症し、移植まで一刻も早い補助人工心臓の装着が必要となりました。
しかし、移植登録をしていた東京大学医学部附属病院は補助人工心臓を装着した方々がすでに入院されていて、ベッドに空きがない状態から筑波記念病院で引き受けて頂くことになったそうです。
(日本で移植を受けるには、移植指定施設である病院でなければなりません。また、人工心臓(VAD)も認可されている施設でなければ、患者さんにVAD装着が必要でも実施できません。)
ご両親も空君も地元から遠く離れた環境で過ごしながら、救う会の方々に募金活動をお願いすることは、とても辛いことだと思います。
そして、空君に関して私の気持ちが動くのは、空君が3歳の時に悪性リンパ腫にて化学療法を受けられてきた経緯があることです。
悪性リンパ腫http://ganjoho.ncc.go.jp/public/cancer/data/ML.html
悪性リンパ腫は「がん」の一種です。
場合によっては、造血幹細胞移植が必要な疾患ですが、空君は化学療法で寛解に至りました。
でも、この「寛解」はとても辛いことの場合もあります。
それは、「寛解」=「完治」ではない期間があるということです。
がん患者さんの苦しみの1つに、再発の可能性と対峙していくことがあると思います。
そこにも、当事者でなければ分からない葛藤や不安が患者さんと家族にはあるのだということです。
そのような苦しみが、いったい何年あったのだろうか・・・と考えるだけで、とても切なくなります。
3歳で病気が分かり、4歳半までの治療・・・。やっと、安心してもいいのかと思ったであろう小学校2年生で「拡張型心筋症」と診断されたこと。19歳になるまでの日々・・・。そして、現在。
空君には「将来は、臨床心理士になりたいという目標」があります。
その空くんを家族が支えてきました。
最後に、HPから「母の想い」を転記します。
■母の想い■
空が3歳でリンパ腫を発症した時、
「この子を生かしてみせる」
「泣いたら負ける。いつも笑顔でこの子を育てていこう」と決めました。
夫とも、「この子が一生病気とともに暮らすことになっても、二人で支え続けて行こう」と話しました。
あれから17年。7歳で拡張型心筋症を発症し、徐々に心機能が落ちていく中、
「今、空が希望に向かって充実した生活を送れるように」
「ストレスなく、少しでも長くこの心臓を持たせるように」と彼の成長に寄り添ってきました。
正直、怖くてつらくて、車を運転しながら泣いたこともありました。でも、空は死の恐怖や将来の不安や今現在の辛さに、耐えるしかなく耐え、それでも生きようと戦い続けていました。
「私たち両親が戦わずに、誰が空を生かせるものか」彼の姿に、私たちのほうが叱咤されました。
今、果てしなく先の話だと思っていた、アメリカでの心臓移植が現実になろうとしています。渡航にも、移植手術にも、移植後の治療にも、多くのリスクが待ち構えています。それを思うと空も私たち家族も身がすくみます。でも、日本にいて補助人工心臓の血栓におびえ、何年も移植を待つ猶予は、空の心臓には残されていません。
「元気になって山梨に帰りたい。当たり前の青春を体験し、自立して、人の役に立つ仕事をしたい。」空の願いは私たち家族の願いです。多くの皆さんの温かい気持ちに支えられて、今前を向いていけることに感謝しています。
これから、もっと多くの方々にご迷惑をおかけすることを、申し訳なく思っています。一つの命をつなぐために、どうか皆さんの温かい心をお寄せください。募金へのご協力を、お願いいたします。
2010年9月
中込 千恵