●続・カシーフとの出会い(パート2)~真夜中のマンハッタンへのドライヴ | 吉岡正晴のソウル・サーチン

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●続・カシーフとの出会い(パート2)~真夜中のマンハッタンへのドライヴ

 

【Memories About Kashif (Part 2)】

 

(1983年7月、ニューヨークでカシーフにインタヴューして意気投合。ちょうど数日後にライヴをやるというので、それを見ることに)

 

帰路。

 

ライヴが大好評のうちに終わり、かるい打ち上げのようなものがあって、帰路につくことになった。何台かの車で来ていたのだが、僕は初老のジム・タイレルさんという人の車に同乗することになった。大きなアメ車だった。

 

パーケプシーはニューヨーク州北部の街で、大学があるらしく、ひじょうにきれいな街だった。マンハッタンまで、1時間半か2時間もかからない距離だったと記憶する。

 

ジムはハーレム(マンハッタンの125丁目以北)に住んでいたが、その時僕は20丁目あたりのホテルに滞在していた。

 

「うわあ、じゃあ、ちょっと遠回りになりますね。申し訳ない」と言うと、「いやあ、10分か20分程度だよ。大丈夫だよ。気にするな」とほほ笑みながら言ってくれた。

 

マンハッタンまでの1時間半程度、車中では彼と2人になり、いろいろな雑談になった。彼の話を聞いたのだが、彼はもともとコロンビア・レコードのフィラデルフィア・インターナショナル・レーベル担当のエグゼクティヴをやっていて、その役を辞めたあと、ハッシュ・プロダクションのアドヴァイザーみたいなことをやっていると言っていた。その後、日本に帰っていろいろ調べると、彼の名前があちこちのフィラデルフィア・インターの作品に出ていて、すごい人だったんだなあ、と驚いた。(その後数年前に、彼の訃報が音楽業界誌にでていて、僕はその83年7月の夏の夜中のドライヴのことを思いだした)

 

ジムの車の後部座席には分厚いニューヨーク・タイムズのサンデイ版がぽーんと置かれていた。それがなぜかものすごく印象に残っている。なんとなくそれがかっこいいなあ、と思ったのだ。ということは、あのライヴがあった日は日曜だったのかもしれない。

 

アメリカの新聞は日本の新聞よりはるかにページ数があって分厚い。それが日曜になると、ふだんの2倍、3倍の厚さでおそらく2キロ近くになるのではないだろうか。新聞配達も日曜は大変だ。

 

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サンデイ版。

 

そして、そのときジムから、なんのトピックだったか忘れたが、「何々について、君はどう思うかね」と、普通に訊かれたのだ。確か、ジムがそのニューヨーク・タイムズ・サンデイ版の何かの記事を読んで、それについてのことだったと思う。「日曜版はとにかく重いからな」みたいなことを言っていた気がする。

 

音楽の話なら普通にカタコトでしゃべれるが一般的なニュースネタとなると、さすがにほとんどしゃべれないので、まいったのだ。

 

ただ、それ以来、ニューヨークやLAで日曜になると、しばらくその分厚いサンデイ版を買って、読んだりしたものだった。せいぜい1ドルか2ドルの安い買い物だ。もっとも読むといっても、カルチャーやエンタテインメントのページを飛ばし読みする程度だったが。

 

そのとき、普通の会話でも、しっかりと自分の意見を持っていないとダメだな、と痛烈に感じた。それは「俺が俺が~~」という自己主張や自慢話ではなく、何かのトピックに対して、自分の意見を普通に持っているかどうか、ということだった。これは、それまで日本に生まれ育って、日本語環境の中ではあまり、経験がなかった。

 

たとえば、最近だったら、いきなりアメリカ人のカマサミ・コングから、「ヨシオカさん、あなたは大統領選、誰の支持ですか?」と、なんの脈略もなく聞かれることへとつながる。別に議論が好き、ディベートが好きということではなく、それぞれの意見を尊重し、あなたの意見はなんなのか、あなたの立場はどこにあるのか、ということをはっきり知りたいということなのだと思う。日本人はそういうときに、わりと答えをあいまいにごまかすことが多いが、僕は自分の意見があればしっかりと話すようにしている。たぶんそういうことの重要性を、あのときにおぼろげに学んだのかもしれない。

 

おそらく、ジムから聞かれたそのトピックについて僕は大した知識も興味もなかったので、ロクに答えられなかったと思う。だが、そのとき、通常の会話としていろいろなことを知っていないと、少なくとも自分の意見を持っていないといけないなあ、と思った。

 

そして、彼らに受ける鉄板ネタが日本についてしゃべることだとまもなく僕は気づく。

 

外国の人は、日本に対して興味を持っていれば、日本について知りたがる。今でこそ、来日何十回というアーティストはいるが、日本に行ったことがない、行っても1-2度といった人たちは、日本がどういう国なのか、どんなメンタリティーを持っているのかなどを、知りたい。

 

そこで、とても基本的な日本についての話をすることになる。そのマンハッタンへの真夜中のドライヴでも、たぶん大半は音楽の話、そして、日本の話をしたような記憶がある。日本は綺麗で(クリーンで)、電車は遅れることなく走り、銃もなく安全だ。といった話をするわけだ。

 

ジムはとてもインテリな人物で、きちっとした人で、しかも優しい紳士だったので、ものすごく好感を持ち、ファンになった。

 

マンハッタンの上の方から、下のほうに進む道はほとんど車も走っていなかった。僕にとってのマンハッタン、ニューヨークのイメージはテレビ映画『刑事コジャック』で培われたものだ。コジャックに出てくるニューヨークが僕にとってのニューヨークのイメージだ。そのとき、なんとなく、車のあまり走っていない坂道のマンハッタンが、コジャックが出てきそうに思えた。そんな坂があり、でこぼこがある道を走りながら、ホテルの前に着くと、ジムは「また近いうちに会おう」と言って手を振ってくれた。

 

その時、彼の電話番号をメモに書いてくれ「いつでも電話してくれ」と言ってくれた。

 

一度くらい電話したが、家の人(おそらく奥さんか)が出て、いま外出中だ、という感じだった。彼にはその何年か後にもう一度会ったくらいだった。

 

彼とゆっくり話したのはその一回だけだったが、マンハッタンへの真夜中のドライヴのことは、決して忘れられない。あんな貴重な体験をできたのもカシーフのおかげだ。

 

(続く)

 

OBITUARY>Kashif (December 26, 1957 – September 25, 2016 – 58 year old)