◎マーサ・ハイ・ライヴとインタヴュー(パート2)~尽きぬ昔話 | 吉岡正晴のソウル・サーチン

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◎マーサ・ハイ・ライヴとインタヴュー(パート2)~尽きぬ昔話

【Martha High Live & Interview】

アンサー・ソング。

日曜日(2015年11月29日)、マーサ・ハイのライヴはファーストとセカンド通しで見た。基本的なセットリストは同じだが、ファーストでやった「イッツ・マイ・シング」が、セカンドでは「ヒーズ・マイ・ディンドン・マン」に差し替わり、ファーストではなかったアンコールがセカンドではきっちり行われた。

セカンドには御大鈴木啓志氏も観戦に登場。「明日、インタヴューするんで、ライヴ見ておこうと思って。でも、マーサ・ハイはほかのJBディーヴァと比べてノーマークだったからなあ。(吉岡君)いろいろ教えてよ」としばし談笑。鈴木節炸裂であった。

「ヒーズ・マイ・ディンドン・マン」は1979年の作品で、聴けばわかるように、当時大ヒットしたアニタ・ワードの「リング・マイ・ベル」のアンサー・ソングというか、関連ソングで、リズム・パターンなども「リング・マイ・ベル」を踏襲している。サルソウルからのアルバムに入っていたものだが、すっかり忘れていた。(笑)

https://www.youtube.com/watch?v=MO8v60Ttx18



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オリジナル、アニタ・ワードの「リング・マイ・ベル」(アナログが出た時、ライナーノーツ書きました)

https://www.youtube.com/watch?v=URAqnM1PP5E



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こういうアンサー・ソングのようなものは、ソウル界ではたくさんある。

すぐ思い浮かぶのが、シャーリー・ブラウンの「ウーマン・トゥ・ウーマン」のアンサー・ソング、バーブラ・メイソンの「ヒズ・ウーマン・トゥ・ユー」。

このあたりはいずれ、一度、まとめてみよう。

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昔話。

翌日(11月30日)午後、マーサ・ハイに軽くインタヴューした。ちょうど、僕の前が鈴木御大。御大もいろいろ昔のレコードの話などを聞いたようだ。これは、後日『ブルーズ&ソウル・レコーズ』に掲載される予定。

僕がマーサにインタヴューするのは1979年以来。マーサ自身の来日は1973年のジェームス・ブラウンの初来日から。2000年1月からメイシオ・パーカーのツアーに入るので、1999年末までの間12回来日。その後、メイシオ、最近ではジェームス・ブラウン・トリビュートなどで来日。20回以上は来日しているのではないか、という話になった。

彼女がミスター・ブラウンに初めて会ったときの話、ブラウン・ファミリーに入り、バック・コーラスだけでなく、ミスター・ブラウンのヘアの面倒もみたり、コーラス隊のまとめ役などもしていたという話、一時期2003年頃から2009年までフランスに住んでいたという話など、多岐にわたった。

ディーヴァの中では、リン・コリンズと一番仲がよかったようで、一時期一緒にも住んでいたという。

時折、ミスター・ブラウンのしゃべり方、声色を真似ながら、話してくれて、あっという間のひとときだった。こういう昔話は、それを知らない僕たちからしてみると、本当にどれもおもしろい。興味は尽きない。

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マーサ・ハイ(右)とマーサ・ヨシオカ(左)

インタヴューの内容は近いうちにまとめます。

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