★◎◆なぜディアンジェロの開演は43分遅れたのか (パート2 of  2) | 吉岡正晴のソウル・サーチン

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★◎◆なぜディアンジェロの開演は43分遅れたのか (パート2 of  2)

【The Reason Why D’Angelo’s Show Delayed 43 Minutes (Part 2 of 2 Parts)】

(昨日のブログ)

2015年10月09日(金)
なぜディアンジェロの開演は43分遅れたのか (パート1 of  2)
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-12081901171.html

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謝礼。

2015年8月18日、ゼップ東京のディアンジェロ・コンサートのアンコールで使われた40年以上の歴史を持つジミ・ヘンドリックスのギター。その練習のために大幅に遅れた開演。

では、このジミ・ヘンドリックスのギターはどのような過程を経てKさんのもとにやってきたのか。その歴史を辿ってみる。

このジミ・ヘンドリックスのギターは、ジミ本人からミュージシャン、アル・クーパーがもらったものだ。

アル・クーパーは1944年2月5日ニューヨーク・ブルックリンに生まれたアーティスト。ギター、ベース、ハモンド・オルガン、キーボード、マンドリンまで弾くというマルチ・アーティストだ。ボブ・ディランのレコーディングに参加したり、ブラス・ロック・グループ、ブラッド・スエット&ティアーズを作った人物。のちに南部のロック・グループ、レイナード・スキナードを発掘する音楽業界での重鎮でもある。

アル・クーパーとジミ・ヘンドリックスは1960年代後期、お互いニューヨーク12丁目界隈に住み、よく会っていた。ライヴハウスはもちろんのこと、路上などでもばったり会うようなご近所さん同士だったのだ。

ジミ・ヘンドリックス(1942年11月27日ワシントン州シアトル生まれ)は、1967年7月から1968年8月まで1年以上かけて「ジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンス」名義で通算3枚目、そして結果的に最後のアルバムとなる『エレクトリック・レディーランド』(2枚組)を録音する。このアルバムは2枚組ということでかなりの量の曲がレコーディングされた。

この録音セッション中アル・クーパーは、「ロング・ホット・サマー・ナイト」という曲でピアノを弾く。ヘンドリックスはクーパーに、感謝の気持ちでそのときこのアルバムを録音するために弾いていた黒のストラトキャスターのギターをプレゼントすると言った。クーパーはこれを遠慮するが、ヘンドリックスは翌日クーパーのアパートに送りつけてきたというのだ。正確な日付はわからないが、こうしてクーパーは1968年8月までにヘンドリックスのギター、黒のストラトキャスターを手に入れた。

ジミ・ヘンドリックスがかの『ウッドストック』に出演するのは1969年8月18日なのでその1年以上前のことになる。

そして、それから約1年後の1970年9月18日、ヘンドリックスはロンドンで死去する。27歳だった。

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価値。

アル・クーパーは多彩な楽器をプレイするがメインはやはりキーボード系、ただギターも弾くので、彼がツアーにでるときは、しばしばこのヘンドリックスのギターを持っていったという。けっこう気に入っていて、ステージでもよくプレイしていたそうだ。

クーパーはこの頃までに、ロスの自宅に何度か泥棒に入いられたことがあり、都会の喧騒から落ち着いた治安のよい環境に移りたかった。そこで1990年春にアメリカ南部テネシー州ナッシュヴィルにいい一軒家を見つけ引っ越し、そこに機材などを置き、新しい生活を始めた。

引っ越して3か月くらいしたある夜、初めて友人たちと夜中まで飲んで帰ってくると、窓が割れ、扉が少し開いていた。「泥棒にでも入られたか」と恐る恐る中に入り、誰もいないことを確かめると一目散にヘンドリックスのギターを置いていた場所に走った。すると、はたせるかなギターは無事だった。いくつかキッチンのものがなくなっていたようだったが、金目のものは盗まれていないようだった。ところが一週間ほど留守をしていた奥さんが戻ってくると、なんと彼女の宝石がなくなっていることがわかった。

その地域は一見安全そうな地域だったが、すぐにアラームをつけた。しかし、その後も裏庭にあったものがなくなったりして、見た目ほど治安はよくないようだった。そしてクーパーはいてもたってもいられなくなった。

そのときは、ヘンドリックスのギターは被害を免れた。しかし、彼は「もし自分がそのとき家にいたらどうなっただろうか」「ひょっとして強盗に殺されていたかもしれない」などと考えるようになり、自分が持っているコレクションを処分しようと考えた。

そこで、クーパーは親しいロス・アンジェルスの楽器ディーラーにこのヘンドリックスのギターを手放してもいいので仲介役になってくれと頼んだ。これより先に、ヘンドリックスの別のギターをジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンスのドラマー、ミッチ・ミッチェルが25万ドル(仮に1990年として、当時のレート1ドル150円とすると約3750万円)で売却していたことが知られていた。推定でもそれくらいの値段が見積もられた。

それほど貴重な価値あるギターだったら、警備の厳重な倉庫に置いておいたらどうかという意見もあった。だが、クーパーは「このようなギターは、倉庫に置いといてもオウナーにとっては嬉しくない。これをいつでもプレイできて、しかも安全に身近に置いておきたい。それができないなら、手放す」という考えだった。「ミッチがあんな値段で売ったんで、このギターは悪い奴らを引き寄せるような気がしてきたんだ」という。

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放出。

そして、そのディーラーと個人的に付き合いのある日本のKさんのところに「アル・クーパーが持っているジミヘンのギターを手放してもいいと言ってる」という話が来た。さすがにそれほどの大金は用立てできなかったが、それでもなんとしてでも欲しかった。そこでいろいろ考え、ジミ・ヘンドリックスのストラトと相応するギター・コレクション・プラス・アルファと交換ならどうだろうということでやりとりをした。

様々な交渉の末、ジミヘンのギターとの交換が成立した。一応、信ぴょう性を得るためにアル・クーパー本人のビデオ証明をもらったという。

こうしてこのジミ・ヘンドリックスのストラトキャスターがKさんのものになった。1990年代初期のことだという。

この黒のストラトは、ジミ・ヘンドリックス→アル・クーパー→(仲介人を経て)Kさん、ということで、Kさんが3代目のオウナーということになる。

ちなみに、ジミ・ヘンドリックスは割と気前よくギターを友人に上げることもあったという。その中で有名なものは、ヘンドリックスがウッドストックでプレイした白のストラトで、前述した通り、これをジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンスのドラマー、ミッチ・ミッチェルにあげたという。

その後ミッチがイタリア人のコレクターに25万ドルで譲り、それをビル・ゲイツ(マイクロソフト=本社シアトル)のパートナー、ポール・アレンが購入した。アレンは十代の頃から趣味でギターをプレイ、その後、ビジネスマンと成功してからもソニー・レガシーからアルバムを出すほどのギター好きだ。このポール・アレンは2000年、シアトルにポップ・カルチャーの物を集め展示するEMPミュージアムを設立。現在はそのジミ・ヘンドリックスのギターやその他の価値のあるギターなどが同博物館に展示され、誰でも見られるようになっている。

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ワン・オブ・ア・カインド。

Kさんは、これまでにもこのジミ・ヘンドリックスのギターを何人かのミュージシャンに見せたが、サウンドチェックなどで多くのギタリストが試して弾いた。たとえば、スティーブ・ルカサー、スーザン・テデスキ、デレク・トラックス、ドイル・ブラムホール、ウォーレン・ハインズ、レニー・クラヴィッツ、ディーン・ブラウン(ロバータ・フラックのギタリスト)、ハイラム・ブロック、マイク・スターン、ナイル・ロジャース、ジャック・ブルース、ヴァーノン・リード、スティーヴ・クロッパー、ブライアン・セッツァー、リック・ニールセンなどがいるという。その中で実際に本番、ステージでプレイしたのは、ディアンジェロ、スーザンとウォーレンだけだという。

今回もジェシー・ジョンソンが思い切り気に入って、それもヘンドリックスの曲ばかりをプレイしたことを見られたのは、Dのオープニング(前座)としては最高のものを見せてもらったとKさんは振り返る。

ピノ、アイザイア(いずれも今回のDのツアーメンバー)、そして、ジェシー曰く「このストラトは最高のストラトで、チューニングが狂わない。演奏性が最高でノンストレスでいくらでも弾いていられる」という。ベース奏者のピノは元々ギタリスト希望だったので、ギターもかなり上手だという。

Kさんはこの日、ギターのほかに実際にヘンドリックスが使っていたというワウペダル、ファズフェイス、オクタヴィアも持って行ったが、使われなかったそうだ。そうした電気ものは事前のサウンドチェックを綿密にしておかないと危ないので、当日は使われなかったようだ。

ちなみに、これまでにこのギターを欲しがったアーティストもいた。特にレニー・クラヴィッツはかなり欲しがり、クラヴィッツのものと交換しようと申し出た。だが、Kさんはクラヴィッツのギターとヘンドリックスのギターではちょっと格が違いすぎるということで断った。それはクラヴィッツも十分理解したという。彼は言う。「僕は、ワン・オブ・ゼムではだめだとおもう。ワン・オブ・ア・カインドでなければ」。 

これは実にかっこいいではないか。クラヴィッツはまだ多くの人の中の一人。一方ヘンドリックスは唯一無比。

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43分。

ディアンジェロのライヴ開始を43分も遅らせた一本のギターには47年以上の歴史があった。ジミ・ヘンドリックス→アル・クーパー→Kさん→ディアンジェロ。長い歴史の点と点が線につながった瞬間だった。

音楽、ミュージシャン、楽器。そこには計り知れぬほどの歴史とエピソードが満載だ。そのすべてを知ることは不可能だが、たまたまこうしてその歴史の一部を我々は聞くことができた。それを与えてくれた音楽の神様に感謝だ。

ディアンジェロが43分開演を遅らせてまで練習したジミ・ヘンドリックスのギター。

待たされている間に流されていたJディラの音源を聴くたびに、あの43分のこと、そして、このヘンドリックス・ギターの歴史に思いを馳せることができる我々は幸せだ。

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Kさん、貴重なお話、本当にありがとうございます。

下記のアル・クーパー自伝も参照しました。

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■ディアンジェロ関連記事

ディアンジェロ・ライヴ@ゼップ(パート1)~リアル・ミュージシャンのリアル・ミュージック~
2015年08月20日(木)
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-12063447784.html

ディアンジェロ・ライヴ評(パート2)~ライヴでのもっともソウルだった瞬間10
2015年08月21日(金)
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-12063894114.html

ディアンジェロ・ライヴ評まとめ
2015年08月26日(水)
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-12065505502.html

上記「ライヴ評まとめ」に、加えて2015年9月30日にアップされたアベハ・マリポッサさんのライヴ・レポート。

これは素晴らしいライヴ・レポート。読み応えたっぷりの長文と美しい写真も。今回のディアンジェロ・ライヴ評で一番読ませます。前座Jディラのセットリストへのリンクも。(本文内) 

サイト: STRONGER THAN PARADISE 踊るシャーデー鑑賞記
筆者:Abeja Mariposa (アベハ・マリポッサ) 踊るシャーデー・ファン。
2015年9月30日公開

http://strongerthanparadise.blog122.fc2.com/blog-entry-513.html

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■アル・クーパーのヘンドリックスのギターについての記述は、下記自伝を参考にしました。

参考資料『Backstage Passes & Backstabbing Bastards』 (Written by Al Kooper, 1998, 2008, Backbeat Books)

Backstage Passes & Backstabbing Bastards: Memoirs of a Rock 'n' Roll Survivor
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