【Yamagishi’s Triumph As Well As Sam’s Triumph】
詩人。
ボビー・ウォーマックは実際に会ってみると、本当に人情に厚い昔ながらの典型的なオールド・スクール・ブラザーだということがわかる。彼の70年の人生に起こった様々な出来事は、彼のそうした人情の機微、やさしさ、人間としての弱さなどから起こってきたものだ。クールに人生を歩むのではなく、彼は熱く無鉄砲に一直線に生き、ときに成功を収め、ときに失敗し、回り道ばかりをしてきた。だがその回り道が遠ければ遠いほど、彼はいい作品をたくさん生み出した。
アリーサ・フランクリンがボビーに言った「あんたは悲しいときだけハッピーなのね」という言葉がそれを象徴する。
人生に成功した人よりも、失敗したか、うまく行っていない人のほうが圧倒的に多い。だから、そういう苦労話や、愚痴や口惜しさ、悲しさ悔しさを曲に込めれば、成功物語よりも共感を得る割合は高い。
そして、ボビー・ウォーマックの曲には泣けるものが多い。英語の歌詞の中身まで深く入り込まなくとも、そのメロディーと声と曲調で、「なんか悲しいことを歌ってるんだろうな」と感じることができる。曲調が日本人受けするものが多いのも彼が日本で人気が高い秘密の一端だ。それは言葉で言えばブルーズとソウルと歌謡曲の要素が巧みにブレンドされているからではないだろうか。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20140702/00/soulsearchin/e0/f5/j/t02200165_0800060012990609677.jpg?caw=800)
From left: GinaRe Womack, Masaharu Yoshioka, Bobby Womack, Zekkujchagula Zekkariyas (KC Womack). February 23, 2012. Tokyo, Japan
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第一歩。
今回の訃報で知った話をひとつ。
ニューオーリンズで活躍する日本人ギタリスト山岸潤史が1988年にメルダックから出したアルバム『マイ・プレジャー』にサム・クックの作品「アイル・カム・ラニン・バック・トゥ・ユー」が収録されている。これを歌っているのが、サムの愛弟子、ボビー・ウォーマックである。
まず、ジュン・ヤマギシ・フィーチャリング・ボビー・ウォーマックをお聞きいただこう。
http://www.youtube.com/watch?v=sBnMauGguwA
そして、この曲のオリジナルのサム・クック・ヴァージョン。
http://www.youtube.com/watch?v=yAvJ6cxMrg0&list=PLA328AB1A4F55C043&feature=share
サムのヴァージョンは、1957年9月からヒットした「ユー・センド・ミー」に続くシングルとして1957年11月にリリースされた。ただ実際のレコーディングは、「アイル・カム…」が1956年12月ということで、少し早い。そして、どちらもソウル・チャートで1位になり、まさにワンツー・パンチさながらにサム・クックは立て続けに大ヒットを放つことになった。
ポイントは、それまでゴスペルの世界で大人気を博してきたサムが、これらの曲でいよいよそれより大きなマーケットである世俗のソウル・ミュージックの世界にはいらんとする、「世俗曲の第一歩、第二歩的な作品」だということだ。サムは「ユー・センド・ミー」さらに畳みかけるようにこの「アイル・カム・ラニン・バック・トゥ・ユー」でソウル・ミュージック史、ポップ市場で爆発的な人気を獲得し、それまででは考えられないほどのブラックのスーパースターになる。当時のブラック・マーケットの規模からいえば、サムの人気は今のマイケル・ジャクソンに匹敵すると言っても過言ではないだろう。
さて、その大ヒットから15年後、この「アイル・カム・ラニン・バック・トゥ・ユー」をアメリカから遠く離れた日本で聞いていた男がいた。それが山岸潤史だ。彼が20歳のとき、おそらく1973年頃。山岸は「これを聞いたときに、(衝撃を受け)いつか自分がアルバムを作るときが来たら、絶対にこの曲を録音したい」と思ったという。
それからさらに15年後1988年、それが現実のものとなる。
トライアンフ(偉業)。
山岸は日本のメルダック・レコードからリーダー・アルバムをだすことになり、様々なミュージシャンとコンタクトを取り、多くのミュージシャンが参加することになった。そんな中で、彼が大好きなボビー・ウォーマックにこの「アイル・カム・ラニン・バック・トゥ・ユー」を歌ってもらいたいと考えた。
当時ロスを本拠にしていたミュージシャン仲間の沼澤尚(ぬまざわ・たかし)がボビーのツアー・ドラムスをやっているということで彼の紹介でボビーに会うことになった。沼澤は1987年9月のボビー・ウォーマック初来日時のドラマーだ。
ミーティングに指定された場所はイタリアン・レストランだった。山岸はストレートにボビーに言った。「サム・クックの『アイル・カム・ラニン・バック・トゥ・ユー』をあなたと一緒にやりたい」
すると、ボビーは驚くべきことを教えてくれた。「このレストランは、サムが生前最後に立ち寄った店なんだよ」
ボビーにしてみれば、東洋の日本からふらりとやってきた若造がなんでまたサムの曲を一緒にやりたいなんて言うのだろうか、といった感じだったにちがいない。だが、彼はボビーの家に行き1-2時間ほど2人でジャム・セッションを繰り広げた。20年以上ソウルやブルーズをプレイしてきた山岸にとってそれらのジャム・セッションはお手の物だ。
そんなジャム・セッションが一区切りつくとボビーはおもむろに言った。「わかった。お前のレコーディングをやろう。いま、キース・リチャードのアルバムを頼まれているが、まだ日程がはっきりしないので、お前のを優先してやる」
山岸はその言葉を言われたとき、まるで自分が映画スターにでもなったかのように有頂天になり、舞い上がったという。
こうしてボビーが山岸のアルバムの中で、歌うことになった。できあがったのが、上記のユーチューブに曲がアップされているものである。
20歳のときに聞いていつか自分のアルバムを作るときには必ずいれたいと思ったその曲を、しかも、サム・クックの愛弟子であるボビー・ウォーマックに頼むことができたなんて、まるで夢のまた夢のような話だ。
この曲のイントロから曲全般、実にソウルフルなギターが流れる。これはボビーなのか、それとも山岸なのか。ものすごくボビーっぽいギター・フレーズなので、どちらかわからなかったので、本人に聞いた。
すると、ここで聞かれるギターはすべて山岸本人のものだという。サム・クックのヒットではあるが、これはまるでボビー・ウォーマック節全開のボビーの曲になりきっている。そして、ここにはブルーズがあり、ソウルがあり、そして、日本の演歌のようなものの要素がまぶされているような気がしてならない。ブルーズとソウルとエンカの見事な融合がここには記されている。
まるでボビーの傑作『ポエット』に収録されていたとしても、まったく違和感のない作品、できだ。すばらしい。
サムが世俗の世界に飛び込んだそのごく初期の1曲は、サムのキャリアの中でも大変重要なターニング・ポイントとなった作品である。そして、同じようにこのサムの曲を、サムの愛弟子ボビーに頼み込み、それを現実にレコーディングできた山岸にとってもこれは、大きなトライアンフ(勝利、征服、偉業)だ。
この「アイル・カム・ラニン・バック・トゥ・ユー」の中で、サム→山岸→ボビーという点が線につながった。
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■おしらせ
次回「ソウル・サーチン・レイディオ」(2014年7月1日深夜24時から25時、インターFM)放送分で、ボビー・ウォーマック・ミニ追悼をお送りします。お聞き逃しなく。
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山岸・ボビーのヴァージョンは、2012年にイギリスでリリースされた『ラクジュアリー・ソウル』のコンピCDに収録され、入手しやすくなっている。
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サムのヴァージョンはたとえばこれに
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ARTIST>Womack, Bobby
ARTIST>June, Yamagishi
ARTIST>Cooke, Sam