(速報) ●アル・ジョンソン死去~元ユニフィックス、ソロで『アイム・バック・フォー・モア』のヒット
【Washington DC’s Own R&B Vocalist Al Johnson Dies】
訃報。
ワシントンDCをベースに活躍してきたR&Bシンガー、ソングライター、アル・ジョンソンが2013年10月25日か26日頃、地元で死去した。1948年頃の生まれで65歳前後とみられる。日本では1980年にリリースされたアルバム『バック・フォー・モア』がソウル・ファンだけでなく、日本で言うAORファンの間でも評判になった。
評伝。
アル・ジョンソン(アルフレッド・オーランド・ジョンソン)は、1948年頃、アメリカ東部ヴァージニア州ニューポート・ニューズ市に生まれた。1965年、近くのワシントンDCに移住。名門大学ハワードで当初は建築を学ぼうとしていた。だがすぐに音楽の傾注するようになり、幼馴染のトム・フォーンリロイ(Tom Fauntleroy)、ハワードの学生3人を誘い5人組「アル・アンド・ザ・ヴァイキングス」を結成。これがまもなく「ユニーク・ファイヴ」となり、さらに1人メンバーが脱退し4人組となったところで「ユニフィックス」となった。
1967年、ジ・ユニフィックスは1968年から「コート・オブ・ラヴ」(1968年9月からヒット、ソウルで3位)、「ジ・ビギニング・オブ・マイ・エンド」(1968年12月からヒットし、ソウル9位)などのR&Bトップ10ヒットを出す。
THE UNIFICS COURT OF LOVE
http://youtu.be/Dm9FqHW-_a4
(バックの3人の振り付けが激しくて楽しい。よくこんな映像が残っているものだ)
この「コート・オブ・ラヴ」は、なんと同じハワードに行っていたダニー・ハザウェイがアレンジ。プロデュースは、彼らのめんどうをみていたガイ・ドレイパー。
グループはアルの印象的なヴォーカルとユニークな振り付けが大きな魅力だったが、大ブレイクすることなく1972年頃解散。アルはソロへ。1978年、地元インディで録音した『ピースフル』が注目され、それをもとにノーマン・コナーズがプロデュースしなおし、これが1980年コロンビアから『バック・フォー・モア』と題されリリースされ日の目を見た。これを機にノーマン・コナーズの『テイク・イット・トゥー・ザ・リミット』(1980年)などに参加、ノーマンとの仕事をいくつかこなした。その後1999年『マイ・ハート・イズ・アン・オープン・ブック』をリリース。その後は、ソングライターとして、あるいはバックコーラスとしてロバータ・フラック、ウィスパーズなどと仕事をしていた。ジーン・カーンとは、「アイム・バック・フォー・モア」でデュエットもしていたが、彼女がモータウンに移籍して出したアルバム『トラスト・ミー』では表題曲を書いていた。
http://youtu.be/ii7gidWHkuo
2004年、ユニフィックスを再結成しアルバム1枚をリリース、ライヴも行った。また、2011年、ソロ・アルバムMaybe the Fire Isn't Outを録音中と伝えられたが、シングル1枚がリリースされただけで、アルバムは発売されていない。また、近年はゴスペル・アーティスト、ジェフ・メジャーズにフィーチャーされたりもしていた。
http://youtu.be/KM2oNwVhit4
ウィル・スミスやフェイス・エヴァンスなどがユニフィックス作品などをサンプリングしている。
OBITUARY>Johnson, Al (circa 1948 – October 25, or 26, 2013, about 65 year old)