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●(速報)マーヴァ・ホイットニー68歳で死去

【(Bulletin) Marva Whitney Dies At 68】

訃報。

ジェームス・ブラウン・ファミリー・ディーヴァのひとり、マーヴァ・ホイットニーが2012年12月22日(頃)、アメリカの自宅で死去した。肺炎の合併症。68歳。公式フェイスブックでスタッフが公表した。ここしばらく体調はよくなかったらしい。詳細は後送します。なお、明日12月25日はジェームス・ブラウンの命日(2006年)。

マーヴァは、1960年代にジェームス・ブラウンの目にかない、1967年ファミリー入り。1969年から1970年にかけてジェームス・ブラウンの元で3枚のアルバムをリリース。その中から「イッツ・マイ・シング」(1969年5月からヒット。ソウル・チャートで19位。これは、アイズレイ・ブラザーズの「イッツ・ユア・シング」へのアンサー・ソング)がヒット。その後、1970年代になりブラウン・ファミリーを離れるが、2006年日本のブラウン・フリーク、オーサカ=モノレールとの共演で30数年ぶりにアルバムを制作、2006年6月来日、その後2007年7月フジロック出演でも来日を果たした。

2009年12月オーストラリアでライヴ中にステージで倒れ、そのまま病院に運ばれた。このときは心臓発作だった。その後回復し、2010年には活動を開始していた。

評伝。

マーヴァ・ホイットニーは1944年5月1日アメリカ・ミズーリ州カンサス・シティー生まれ。本名、マーヴァ・アン・マニング。マーヴァ・ホイットニーはいわゆるステージネーム。1968年頃からジェームス・ブラウン・ファミリー入り。ヴィッキー・アンダーソンなどと並んで「女ジェームス・ブラウン」と呼ばれるように迫力あるファンクさいっぱいの歌唱でステージを盛り上げた。ブラウンの下で1969年から1970年にかけて3枚のアルバム『アイ・シング・ソウル』、『イッツ・マイ・シング』『ライヴ・アンド・ロウダウン・アット・ジ・アポロ』をリリース。ブラウン・ファンの中でも人気を得た。その後、ジェームス・ブラウン・ディーヴァとしては、リン・コリンズが登場。さらにマーサ・ハイへとその系譜は受け継がれていく。その後ブラウン・ファミリーを脱退、ソロ活動を続けていた。

1990年代に入り、いわゆるレア・グルーヴの流れの中で注目され、イギリス、ヨーロッパなどで小規模に活動。2006年、日本のジェームス・ブラウン・フリークであり、その継承者として活動するオーサカ=モノレール、中田さんの熱いラヴコールに応えアルバム『アイ・アム・ホワット・アイ・アム』を制作。2006年6月、日本各地でライヴを行なった。

唯一の単独日本公演の模様↓

June 09, 2006
Marva Whitney: It's Her Thing, Waiting For The Day For 30+ Years
【マーヴァ・ホイットニー・ライヴ~30年以上待ちつづけたその日】
http://blog.soulsearchin.com/archives/001065.html

Marva Whitney: It’s My Thing

http://youtu.be/7PKpQwQ4ZGQ



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OBITUARY>Whitney, Marva, May 1st, 1944 – December 22, 2012, 68 year old