パートナー
長年のジェームス・ブラウンのコラボレーターであり、多くの作品の共同作者でもあったボビー・バードが2007年9月12日(水曜)、 ホームタウンのローガンヴィルの自宅で家族などに見守られながら死去した。73歳だった。死因はガン。
ボビー・バードは、ジェームス・ブラウンの大ヒット曲「セックス・マシーン」でブラウンが「ゲッタップ」と歌うと、「ゲットンアップ」と合いの手を打つシンガーとしても有名。これ以外にも初期のジェームス・ブラウン作品でコーラス、合いの手などで参加している。
ボビー・バードは1934年8月15日ジョージア州トコア生まれ。彼は、1950年代初期にジェームス・ブラウンが刑務所に入っているときに知り合い、バードが持っていたゴスペル・グループにブラウンを誘った。バード一家は、ブラウンの後見人として早期出所に力を貸しブラウンの面倒をみた。
以後、ブラウンとバードはゴスペルを中心とした音楽活動を続け、次第にブラウンが頭角を出すようになる。ブラウンが1956年に「プリーズ・プリーズ・プリーズ」で大ヒットを飛ばすと、その後バードはブラウンのバンドで活動。1970年代初期までファミリーの一員として活動した。ちょうど同時期にジェームス・ブラウン・ファミリーにいた女性シンガー、ヴィッキー・アンダーソンと1970年に結婚。後にイギリスを本拠に活躍するR&Bシンガー、カーリーン・アンダーソンは娘。
バードはブラウン・ファミリーを脱退後1971年、ソロ・シングル「アイ・ノウ・ユー・ガット・ソウル」をリリース、これが大ヒット。またこの曲は後にパブリック・エナミー、エリック・B・ラキーム、アイス・キューブら多くのヒップ・ホップ・アーティストにサンプリングという手法で使われることになる。
バードとブラウンの関係は、グループに戻ったり、出たりといった具合だった。
ボビー・バードはヴィッキー・アンダーソンとともに1988年4月、ライヴ・コンサートのため来日している。
バード夫妻は、昨年12月のジェームス・ブラウンの葬儀でも歌っている。
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Another One Followed Boss
再び、ソウル・ファンに衝撃のニュースが走った。
ボスの後を追い、またひとり相棒(パートナー)が逝ってしまった。
僕がボビー・バードに会ったのは1988年4月、愛妻ヴィッキー・アンダーソンとともに来日したときのこと。ヴィッキーとともにインタヴューした。あのときは、渋谷のクアトロでライヴがあったと記憶するが、そのライヴ自体はちょっとしたトラックで歌うような少々期待はずれのものではあった。だが、長年のブラウン・ファミリー好きにとっては、ボビー・バードは格別の存在だった。
なにしろ、1970年代初期にブラウンストーン・レーベルやクワンザ・レーベルの7インチを死に物狂いで集めたシンガーだ。ジェームス・ブラウンとは一味違って、しかし、まさにファミリーの一員というひじょうにユニークなポジションのシンガーだった。
その後1996年1月、ミスター・ブラウンのワイフ、エイドリアンさんの葬儀に出席したときに、やはり、バード・アンダーソン夫妻と再会した。そのときに「以前日本で会った」というようなことを言ったら、「おお、そうかそうか」と覚えてはいなかっただろうが、ひじょうに上機嫌で応対してくれた。彼はいつも笑顔という印象がある。だからとても人なつっこく見える。
ヴィッキー・アンダーソンは、ボビーの作品の中で「ベイビー・アイ・ラヴ・ユー」が好きだという。これは、ボビーが初めて彼女のために書いた曲だそうだ。
ミスター・ブラウンと一歳違い。どちらも73歳で旅立った。天国でのミスター・ブラウンとの再会を祝して・・・。
■ボビー・バード ベストアルバム
アイ・ノウ・ユー・ガット・ソウル~ベスト・オブ・ボビー・バード
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