認知 | 吉岡正晴のソウル・サーチン

吉岡正晴のソウル・サーチン

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【日米の「キング・オブ・ソウル」】

認知パンだパン子

勝本さんが、「キング・オブ・ソウル」という踊りメインのグループを、盟友ニック岡井さんとマイケル鶴岡さんとともに結成したのは1990年のこと。最初は、ちょっとしたイヴェントなどで、ジェームス・ブラウンのステップや音楽をやろうということから始まったらしいが、だんだんと本格的になり、イヴェントやアーティストのライヴの前座などをやるうちに、メジャーのレコード会社と契約。CDを出すまでにいたった。

そして、あちこちのイヴェントなどで踊っている姿をビデオなどに収録するようになり、「キング・オブ・ソウル」というグループは、日本のクラブ、ソウル・シーンでちょっとした話題になっていく。ライヴ自体も60分から90分くらいまでできるようになり、ツアーも可能になった。

そんなキング・オブ・ソウルのライヴ映像を、勝本さんは、ジェームス・ブラウンに見せようと決意する。そして、それが実現化するのが1995年4月のことだ。ミスター・ブラウンがこの時は横浜文化体育館でショーを行った。この時は、ぼくもけっこうべったりついていて、文体でのリハーサルの模様もみることができた。そして、ライヴ後、彼の滞在していたホテルに一緒に行くことになった。

ミスター・ブラウンはホテルのスイートルームに滞在していて、我々を招き入れてくれた。そこで、しばし、談笑しつつ、勝本さんが持ってきたビデオを部屋で見ることになったのだ。

ソファに座ってキング・オブ・ソウルのライヴを見るミスター・ブラウン。そして、その様子をこわごわ、そして、照れくさそうに見つめるドン勝本。さすがの勝本さんも、いったいどんな反応を見せるのか、緊張していたようだ。

しかし、心配はいらなかった。勝本さんがジェームス・ブラウンのような横につつつっ~~と動くステップをすると、ミスター・ブラウンは大いにはしゃぎ、手を叩き、笑い声をあげた。大喜びしたのだ。そして、勝本氏の一挙手一投足にいちいち喝采を浴びせた。

そして、二人でテレビの前で、同じステップを一緒にやってみせたのだ。完全に勝本さんが、ミスター・ブラウンに認められた瞬間だった。

(ただ、記憶がちょっとあいまいなのだが、これより前に勝本さんはビデオをアメリカのミスター・ブラウンに送っていて、一足先に一度見ていた可能性もある。だが、いずれにせよ、勝本氏がそこにいて、ミスター・ブラウンの前でビデオを一緒に見て、大いに盛り上がったのは、このときのことだ)

後に、ジェームス・ブラウンは、自らのショーの中で、その時に勝本さんが来ていれば、1曲彼に躍らせるようになる。そして、ミスター・ブラウン自らが「キング・オブ・ソウル、ドン勝本~~」と紹介するのだ。

初めて彼がステージに上がったのが、いつだったのか、記憶が定かではない。2002年10月の来日時には上っていた。それより前はどうだったか。いずれにせよ、その後、2006年3月のミスター・ブラウン最後のライヴでも彼は東京2回、ステージに上った。

ドン勝本がステージでジェームス・ブラウン・ステップを踊ると、ブラウンは「どうだ、すごいだろ、こいつは」といったような嬉しそうな表情で勝本さんをオーディエンスに紹介する。

2006年3月のジェームス・ブラウンのステージは、ミスター・ブラウンと勝本さんが共に上った最後のステージになってしまった。ほぼ1年後に二人ともいなくなるなどとは、夢にも思わなかった。アメリカのキング・オブ・ソウルと日本のキング・オブ・ソウル。二人とも現世でのお仕事、おつかれさま。それにしても、ミスター・ブラウンより16年も後に生まれた勝本さんが、ブラウン旅立ち後わずか4ヵ月で後を追うとは・・・。

ENT>OBITUARY>Katsumoto, Kenji/1949.5.20 - 2007.4.19 (57)
ENT>OBITUARY>Brown, James/1933.5.3 - 2006.12.25(73)