豪邸 | 吉岡正晴のソウル・サーチン

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【勝本さんとミスター・ブラウンの思い出~パート2】



(勝本氏と僕は、ミスター・ブラウンの奥さんの葬儀に出席するためにオーガスタに旅立った。そこでわれわれを迎えてくれたのはダニー・レイ、そして、ミスター・ブラウンだった)(2007年4月22日付日記の続き)



豪邸家



門は特別閉まっていたわけでもなく、すんなり、中に入った。するとすぐに道の横に立て看板が見えた。よく道路などにある標識だ。そこには、こう書かれていた。James Brown Boulevard(ジェームス・ブラウン大通り)。 それを見た瞬間は度肝を抜かれたが、後になってオーガスタにジェームス・ブラウン・ブルヴァードができたと聞いて納得した。



ゆるやかなカーヴになり若干坂を下がる感じで車が進むと右手に小さな池が見えた。そしてさらに進むと大きな母屋(おもや)があり、その左側に車庫が見えた。そこには、たくさんの高級車が止まっていた。正確には覚えていないが、ロールス・ロイス、何台かのメルセデス、ジャグワーもあったような気がする。楽に10台以上あっただろう。



僕はダニー・レイに尋ねた。「あれ、今日はパーティーでもやってるの?」 勝本さんや僕が呼ばれたのは、パーティーでもやってて、それで呼ばれたのかと思ったのだ。ダニーは答えた。「ノー、ノー、あれはみんなミスター・ブラウンの車だ」 「ひえ~~、まじで」 ダニーが続けた。「ミスター・ブラウンはとても気前がいいんだ。たくさん車を持っているので、スタッフなどにも時々、車をあげてしまうんだよ」



ダニーは勝手知ってる家と言う感じで、母屋の前に車を止めると、われわれを家のほうに案内した。玄関のようなところでしばらく待っていると、お手伝いさんのような人がでてきて、居間に通された。



そこにはミスター・ブラウンが大きな椅子に座ってヘアメイクの人に、髪の毛をいろいろやってもらっていた。「おお、ようこそ、座ってくれ。何を飲む? 何でも言ってくれ」と聞かれた。勝本さんと目を合わせ、何にしようか迷っているとミスター・ブラウンに言われた。「コーヒー、オア、コーク?(コーヒーかコーラか?)」 なんで、コーヒーかコーラなんだろう、と思いつつも、コーラと答えた。ひょっとすると、「氷もいるか」と聞かれたかもしれないが、記憶は定かではない。



しばらくして、お手伝いさんがコーラを二人分持ってきた。乾杯したか、ありがとうと言ったのか、いずれにせよ、僕も勝本さんもそのコーラに口をつけた。僕はかなり興奮していて、どんな話をしたかよく覚えていない。たぶん、時候の挨拶でもして、昨日の葬儀はお疲れ様といったような話を少ししたのだと思う。ミスター・ブラウンは、奥さんの死について、医学的な説明を少ししてくれたような記憶があるが、さすがに医学用語の単語はわからなかった。



それからちょっとビジネスっぽい話になった。確か、その頃、ミスター・ブラウンは娘のヤマ・ブラウンを売り出そうとしていた。ミスター・ブラウンは僕と勝本さんの両方の目を交互に見て話す。目線があっているときは、やはり緊張する。これはいつものことだ。



はっきりは覚えていないのだが、ヤマ・ブラウンは自分の娘で今売り出そうとしている、CDシングルかなにかがあって、アルバムを作る(あるいはすでにアルバムはできていたかも)、それをアメリカでは自分のレーベルから出すが、日本でリリースしてくれるところを探してくれ、といった話だったと思う。とりあえず、CDを受け取って、聞いて日本のレコード会社に聞いてみるといった感じだった。



そのとき、ミスター・ブラウンは、勝本さんに向かって「君のためなら、なんでもするから、何でも言ってくれ」と言った。これは、ヤマのリリースのためなら何でも協力する、という意味と、文字通り、勝本さんが必要なことがあればなんでも力になる、ということを意味していた。「俺たちは知り合って何年だ? 20年以上だな。初めて日本に行った時にとった写真を飾ってるんだ」 以後、この話は彼が日本に来て会った時など幾度となく繰り返された。(笑) まさに話題のループ状態だ。そして、ミスター・ブラウンは「お前は俺の日本の息子のようなものだ」とも言う。



ミスター・ブラウンは、ファミリー、親しい者、仲間をひじょうに大切にする。仲間のために最大級の気遣いと施しをする。もっともヤマ・ブラウンのレコードに関しては、日本に帰って聞いたところ、日本のレコード会社でのリリースはむずかしく、立ち消えになった。その後、ヤマはドクター(医師)になったのは、ファンの方ならご存知かもしれない。



僕はミスター・ブラウンに行きがけに見た敷地内の池について尋ねた。「ミスター・ブラウン、あなたは釣りがお好きなのですか」 「いやあ、釣りをする暇はほとんどないんだ。今は、池にどんどん鱒(マス=だったと思う)を放ってるところだな」 釣るんじゃなくて、池にどんどん放し飼いにするんだ、と思って、またまた度肝を抜かれた。



ブラウン邸には小一時間いたのだろうか。外までミスター・ブラウンは見送ってくれた。そして再び、ダニー・レイの車に乗って僕たちはホテルに戻った。そのとき、僕はブラウン邸の全貌を見たわけではないが、ダニー・レイがその敷地がものすごく広く、かなり大きな豪邸だと教えてくれた。



ブラウンが昨年(2006年)亡くなり、その遺体が敷地内に埋葬されるかもしれない、というニュースを見たとき、なるほど、あれだけ広い敷地だったら、どこにでもお墓は作れると思ったものだ。



(この項続く)



なお、訃報です。



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              訃 報



ドン勝本こと勝本謙次(57才)は病気治療中のところ薬石の効もなく、平成19年4月 19日永眠致しました。



謹んでお知らせいたします



生前、音楽プロデューサー、全国ディスコ協会、グループKING OF SOULなど幅広い精力的な活動は多くの皆様より熱いご支持を賜りました。また、あのジェームス・ブラウンが「心のブラザー」と慕う唯一の日本人としても有名でした。



なお、通夜及び告別式は下記の通り執り行なわれます。



                         ドン勝本・葬儀委員会





               記



日時  通 夜 2007年4月25日(水曜) 午後6時~7時

    告別式 2007年4月26日(木曜) 午前11時~12時



場所  臨海斎場

     〒143-0001 大田区東海1-3-1(駐車場完備)

     TEL 03-5755-2833

http://www.rinkaisaijo.or.jp/




喪主  勝本有輝(長男)

     港区白金1-29-13 BF ダンステリア 03-3444-0097



献花受付:TEL 03-3751-0166 FAX 03-3752-8244



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ENT>OBITUARY>Katsumoto, Kenji/1949.5.20 - 2007.4.19 (57)

ENT>OBITUARY>Brown, James/1933.5.3 - 2006.12.25(73)