潜在数秘術マスターのアユミンです。
今の私ができるまでシリーズです。
今の私ができるまで①
今の私ができるまで②
今の私ができるまで③
今の私ができるまで④
今の私ができるまで⑤

高校生活は、母に怒られないように・・・と自分で(勝手に)行動を制限し、ほぼ学校と家の往復だけだった私。

これでは何の楽しみもない、(両親から)自由になりたい!と、大学では家を出て、出来れば県外に行きたいと思っていました。


しかし物理的に両親から離れて自由になったように感じても、精神的な自由とはまた別問題だったのです・・・。


結局、英語が好きだったので、県外の英語関係の学部がある私立の大学を受験して合格したのですが・・・、またまたここでも自分を制御。
うっかり国立大学も受かってしまい(英語科ではなかったのに)、学費が安くて親に金銭面で迷惑をかけないでいいということと、その国立の方が偏差値も高く、知名度もあり(と言っても三流でしたが)、親も喜んでいた(し、それが私の喜びでもあった)・・・という理由から、その大学に入ることにしたのでした。

でも、実家からは無事出ることができたので、これから学生生活を楽しむぞ!やりたいことをいっぱいするんだ!とワクワクしながら、大学生活に突入。

そこでようやく、恋愛・勉強・スポーツ・グルメ・旅行・・・といろいろ楽しむようになりました。

 

 

 


恋愛は、完全な受身体制。
こんな私に好意を抱いてくれるなら・・・とそれほどタイプじゃない人ともデートしていました。
けれども、頑固さが邪魔をしてそんな人はどうしても好きになれず。
好みの人から好きと言われて付き合えても、結局『嫌われないように』の行動パターンが強く出てしまい、逆に相手から好きじゃなくなったと言われ、振られてしまうという悲しい恋愛をしていました。


結局、相手がどんな人であっても心を開くことはできなかったのです。
それはそうですよね、身近な親にも自分自身にも心を閉じてしまっていては、誰にも心を開けるわけがないですものね。


好きな人から振られてしまった私は、全人格を否定されたような気になり、かなり引きずってしまったのです。
その時は、本当の自分を見てもらえなかった、もっと自分を見てもらいたかった、という後悔の気持ちも強かったですね。


今思うと、本当は彼に好かれ続けたかったというよりも、両親と彼を(潜在意識が)混同していて、両親に私という人格を全面的に受け入れてもらいたいと強く思っていたのでした