劉邦、その愛*『虞美人』壮一帆『虞美人』東京お茶会、その2 |  *so side cafe*

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元宝塚歌劇団雪組、壮一帆さんの現役時代の記録。ただいまシーズンオフ。


全体像に迫ることはすでに放棄している(笑)、ピンポイントお茶会レポその2です。

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今回、壮さんの公演話を聞いて思ったのは、壮さんが、劉邦という人物をとても愛し、たいせつに演じているということでした。

根拠としてあげられるものはないけども、劉邦について話す壮さんの語り口に、すごく熱いものを感じたんですよね。『オグリ!』のときとはまた違って、深いところで、この劉邦という人物に同調しているような。

オグリはファンタジーだったから、心情を掘り下げていく必要があまりなかったけれど、劉邦は違う。単純なようで、深く複雑。なようで、やっぱり単純で(笑)というループ。劉邦という人間の面白さが、壮さんを捉えているのじゃないか。そんなふうに思いました。

大劇場でお稽古が始まった頃は確か、劉邦のことを捉えどころのない人物だ、みたいに言っていましたが、今や、その捉えにくい劉邦をガチッとつかんで演じている。劉邦語りをする壮さんには、そんな自信のようなものが漂っていました。

お茶会では定番の、「劉邦以外に演じるとしたら?」という質問にだって、迷わず「劉邦以外はない」と答えてましたもんね。

『オグリ!』のときにさえ照手と答えていたし、この種の質問に、自分の役にここまで固執する壮さんって、わたしは知りません。
(選択肢に「劉邦以外考えられない」っていうのがあったので、軽い誘導ではあったんですが(笑)。運営の皆さんありがとう)

それくらい、この日の壮さんからは、劉邦への思い入れが伝わってきたということで。

そんな劉邦語りのなかでも、なんといってもみんなの心を打ったのは、劉邦の愛についての話だったと思います。

怒れる項羽(シーサー)の猛攻に遭い、深い疵を追って、舞台に一人うずくまる劉邦。その心情を、少し話はそれるんだけどと、壮さんはこんなふうに話してくれました。

え「一人になって、の場面。劉邦の『私は誰も愛していない』のセリフについて、私はこう思うっていうお手紙をファンの方からたくさんいただいて。すごく面白いなあと。ほんとにいろんな解釈があるんですよ。でもね、何が正しいっていうのはなくて、どれも正解だと思うんです。
史実的にも劉邦は、項羽のように身内を大切にしたわけじゃなくて、家族に対する愛は薄かったみたいなんですけど、まわりの人を受け入れていくところがあるし、私の演じたい劉邦は、人が好きなんです。まわりの人のことも、無意識に愛していたんだけど、自分では気づいていなくて、一人になって自分を見つめて、初めてそのことに気づいた。だから、誰も愛していないわけじゃないんです」


この話は、先日壮さんが出演したラジオ『ビバ!タカラジェンヌ』でも出たらしく、わたしはブログまわりをしていて知り、もう、ガツンガツンに来ました(笑)。「愛していない」んじゃなくて「愛している」、そんなふうに演じていたなんて!

(ラジオを聞いた方からもたくさんお手紙が届いたんでしょうね。いつも思うのですが、壮さんが、お手紙をちゃんと読んで、受け止めていてくれることにも感動)

セリフに書かれていることばをそのまま見せるだけが芝居表現じゃない。役者は誰だって、どんなふうにも演じられる。そんなことを、改めて思いました。

だいたい劉邦みたいな食えない男が、口にした言葉そのままのことを思ってるとも限らないし。ま、ここは独白のの面だから、そんなこと言いだしたら劉邦が多重人格になってしまうので(笑)、壮さんのいった「無意識に愛していた」というのに納得です。

これはわたしの個人的な理解ですが、劉邦は、シーサー上からの項羽の怒りの一振り(あの太刀は、義兄弟の契りをかわしたときのものでしょう)を身体に受けることによって、“愛のようなものの存在”に気づくのではないでしょうか(それまではほぼ、自分や他者の感情というものに無意識で生きてきた(笑))。

だから場面の最後に、劉邦はつぶやくのではないでしょうか。
「こんな私を項羽は知っているだろうか」と。

そして、そのセリフはこんなふうにも考えられるのです。

 いまわたしは、初めてあなたの愛を知った。
 あなただけではない、周りの者たちの愛を。
 なぜ今まで気づいてやれなかったのだろう。
 身体と心に瑕を受け、その報いをわたしはいま受けている。
 わたしだってほんとうは愛していたのに。
 それを誰にも伝えることができなかった。
    わたしはまだ、誰も本当には愛していない。
    もっともっと、愛したい…。
    もっともっと、愛していると言いたい…。

劉邦にとって、項羽がふるった一太刀は、いわば感情教育。劉邦は、項羽という存在を通して、愛を知り、天下をおさめる天子となるのです。

なんてね(笑)。

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すみません!

もう、まったくお茶会レポではなくなってしまいました(笑)。

でも、壮さんがいけないんですよ(ウソ)。
こんなふうに考えさせないではいられないようなことをいうんだもの(笑)。

実際のところ、木村信司先生の考えたこの場面は、セリフどおりのものだったような気もするのです。
でも、壮さんの演じる劉邦には、こんな気持ちのほとばしりがしっくりきます。

だってこの劉邦は、演じているのが壮さんなんだから。そして項羽は、真飛さんの項羽なんだから。

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つらつらと考えていて気づいたのですが、壮さんがこんなふうに、セリフを突き詰めていくようになったのって、全国ツアー「外伝 ベルサイユのばら」だったりして…。あの、まったくアンドレの心情を無視して突っ走っていった脚本と向き合い、言葉とは違う意味を探していったんじゃないかって…。

単なる思いつきからの想像ですが、そんな学習の仕方もなくはないということで(笑)。

いろいろ読みとけて深いです、劉邦って。

そしてわたしは今日も劇場へ行ってしまったのでした(笑)。そんな劉邦に会いたくて。