覚書 母との別れ | ・:*:・cherish now・:*:・

覚書 母との別れ

これは私自身のための覚書。
というか、吐き出し整理です。
なので乱筆乱文です。











2016年 3月17日 
昊さんの5歳の誕生日のこの日


私のとても大好きで とても大切で とても尊敬していた母が
他界しました。
61歳でした。




心筋梗塞を発症してから亡くなるまで19日間。

親類や母の知人友人からは「本当に急だったね」と言われましたが
私にとっては(弟も同じだったようですが)
ものすごく長い長い19日間でした。





2月の末に体調を崩し 翌日かかりつけの病院から総合病院へ
救急搬送で入院。
さらにその翌日にカテーテルでステントふたつ入れました。




その後、酸素濃度はなかなか正常値まであがりませんでしたが
休み休みでなら会話ができるまでになり、

1週間後には自分で車いすに移乗し、
普通食も食べられるほどに回復しました。

その際には、生活費の割り振り、
弟の大学の振り込みのお金をどの通帳から出すか、
空の薬の内容と飲ませ方など
母が普段  管理していた事を諸々教えてもらい、


じゃ、退院するまでは任せておいてね・・・なんて話してた矢先




3月9日 急変しました。








致死性不整脈により心肺停止した母は
30分後に蘇生したものの

30分の心肺停止は脳に大ダメージを与えるには充分過ぎる位に長く
低酸素脳症となり その後 意識が戻ることはなく


3月17日の夜、旅立っていきました。





9日の急変からいろいろトラブルも出てきて
私自身も精神的はアップダウンが激しく
仕事中でも気づいたら涙が流れているような状態でしたが


その間にいろいろ覚悟ができたというか・・・。





17日の夕方、お見舞いのとき
ICUで意識なく眠っている母に

「お母さんが家に帰りたいと思ってるなら とにかく頑張って。
でも、そうじゃないなら、次に行きたいなら
お母さんの思うようにすればいいよ。」


声に出して言えるまでには時間も覚悟もいったけど
もう母と神様に任せようと。







実家に帰り 昊の5歳の誕生日を祝い
自宅に帰ろうとしたときに病院から再び急変の連絡が入ったときには

やっぱり そっちを選んだか・・・と。






母は昔から
「たぶん私は長生きはできないだろうから、
もしもの時は延命治療とかはしないでね」とか


「人は生まれてくる前に、神様と
〔私はこうやって生まれて こうやって生きて こうやって最期を迎えます〕と
束して生まれてくるから、どういう亡くなり方だとしても 
それは自分で選んだものなんだよ」
とか話していました。





この19日間は 本当に母らしい19日間だったんだなぁ。

最初の心筋梗塞で持ちこたえ、その間に
家族が生活で困らないように諸々を伝え

伝えたところで旅立とうとしたけど

家族が(とくに私が)覚悟ができていないために
覚悟をし 前向きに送り出せるよう
私たちに時間を与え

心の準備とその後の段取り、
ガラリと変わるであろう生活の準備ができたのを見計らって・・・・。


家族のために本当に頑張ってくれた19日間。










よく「姿はなくても いつでもそばにいるよ」と言いますが
たぶんうちの母は居ませんね。


脳出血で片麻痺になり、車いす生活になっても

びっくりするくらい前しか向いていなかった母。


それはきっと変わらないと思うので。
たぶん、今も前だけ向いて 次のステップへの道をズンズン歩いてるんじゃないかな。


・・・・と弟とも話してます。










おかあさん
みっちゃん
みちこさん




一緒にいられた42年間。
私は一生 絶対に忘れません。
楽しかったことも 辛かったことも
腹の立ったことも 嬉しかったことも
怒られたことも 黙って私の話をきいてくれてたことも

可愛かったお母さんも 怖かったお母さんも
厳しかったお母さんも とてつもなく温かかったおかあさんも





・・・・21年間しか一緒にいられなかった末弟は かわいそうだけど











・・・・・・と大半の時間は、思えるようになりました。


でも、ふとした拍子に 急に涙が出てきたりします。
毎年春になると母に頼まれて
写真を撮っていたユキヤナギが咲いているのをみると
どうにも涙が出てきて 帰り道を変えたり。


せめてあと5年くらい 待って欲しかったよと愚痴をこぼす時もあります。




いろんな後悔で自分を責めることもあります。
「左の肩甲骨と腕がすごい重痛いんだけど」と言われたとき、
真っ先に心臓が浮かんだのに
胸の痛みがなかったから 救急車を呼ぶ選択を排除してしまった。
ザワザワは止まなかったのに。


少し調子がよくなったからと 病院へのお見舞いより 
調子を崩した空を優先して
急変の前日のお見舞いをやめてしまった。
心臓のことだから 絶対大丈夫なんてことなかったのに。


そして、小さな箱に入って23日ぶりに帰ってきた母の祭壇で
未だに手を合わせられないあたり、実はまだ認めてないのかな。










亡くなった人にいつまでも囚われてると 
その亡くなった人がかわいそうなんだよ。
いつまでも縛られてしまうからね。
懐かしんだり思い出すのはいいことだけど、
囚われてはだめだからね。


以前 母に言われました。


今 わが家で誰かが(主に私)クヨッてると
誰かが(主に弟)
「ほらっ お母さんに怒られるよ!」
が定番(笑)





まぁ・・・


あとは時間なのかな。




親との別れは 自分が先に亡くなるというイレギュラーが起こらない限り
誰でも経験することだから


お別れ経験のある人生の先輩もたくさんいますし


私なんかより辛い 突然のお別れを経験された方もいますし


私よりずっと短い時間しか 一緒に居られなかった方もいますし




のんびりいきます。


母に怒られない程度に(笑)






来年の今頃  この記事を見返して
「そんな日もあったな」と苦笑いできるように。










ちなみに・・・・








最近のおふたりさんドキドキ
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今までお留守番なんて全くしたことのなかったふたり。


さすがに入院直後は その生活の激変についていけず
そらは これまでにないくらいに悪化。
一時 最悪の事態も覚悟しました。


こうは 誰かがそばにいると 必死によじ登って離れない。
きゅん泣きどころかぎゃん泣きまで。



そんな時期もありましたが


最近はだいぶ落ち着いてきました。




そらさんの心臓の方もお薬増えたり 
もしもの発作時の頓服も効いてくれ
平常運転に。



こうさんもお気に入りの毛布の上でお昼寝満喫できるように。





でもって、平日は私たちの職場の2階へ出勤です(笑)

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家で留守番っていうのも考えたけど

急に長時間は メンタル的にも心配だし


なにより二人して 祭壇の上のお供え物狙って

柵の突破を謀るので

留守番なんかさせたら、どんな祭り状態になるやら(笑)



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あ、こうさん、3月のばたばた中、涙ゴーゴーだったけど
なかなかケアしてあげられなくて
ちょっと目元がかぶれてしまったあせる


今はお薬も塗ってきれいになりました。



そらさんは体重がさらに減り2.3キロに。

マックス3.7キロだったとは思えないあせる

おかげで服をまた買い換えないと・・・あせる

でも、身軽に動けるようになったので

本人は楽なのかな。





おふたりさんも 一緒にゆっくり 新生活に慣れていこうね。

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