舞台「蜘蛛女のキス」 | ここで、そこで、いろんなところで

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観にいっちゃいました~!

「蜘蛛女のキス」


おととい(15日)、hpを検索していたら、14日~16日まで、ナント、名古屋でやっていることを発見!


え?

でも当日券あるの?

公演終わって電車あるの?

仕事変わってもらえるの?

お金あるの?


「行きたい~!」って思っていると、当日券はあるし、電車も最終には間に合うし、仕事も変わってもらえるし、お財布の中には諭吉さんが微笑んでいるし・・・!


「これは神様が行きなさいって言ってるんだよね・・・」

勝手に解釈する私。


「行きたい~!」は「行くしかないじゃん」に変化した。


私って急に思い立って行動を起こすことが時々ある。

だから、友達とスケジュール調整するまもなく「おひとりさま」になってしまうんだ。


感想は・・・。


映画より、恋愛に重点を置いた作品になっていた。

ヌードあり、セックスシーンあり、キスあり。

「未就学児不可」って着いているのは納得・・・。

やっぱり話題づくりとして、こういうことも必要なのかも・・。

映画ではそこらへんがぼかしてあって、精神的なつながりが前面に出た作品になっていた。

原作はどうなのかな・・? 


山口馬木也さんのバレンティンもよかったけれど、今村ねずみさんのモリーナは本当にすばらしかった。

ウイリアム・ハートのモリーナはどっしりとした感じだったけど、ねずみさんのモリーナは華奢ではかなげな感じ・・・。

ねずみさんは初めて拝見したんだけど、コンボイショーで鍛えているだけあって、体全体が芝居をしている。


芝居上も対照的な二人なんだけど、ヌードでも、馬木也さんはギリシャ彫刻のように筋骨隆々としているのに対して、ねずみさんはバレーダンサーのようにしなやか。

そしてモリーナがバレンティンを好きになっていくと同時に、どんどん目が潤んでくる。

恋する瞳って感じ。


別れる前にモリーナにバレンティンが言う言葉


「自分を貶めるな。他人に価値のないもののように扱わせるな。男と寝るな」


このせりふは、本当に胸に響く。

映画でもそのままの言葉だった。


ゲイであることで肩身の狭い思いをし、好きになる男性からは冷たく扱われてきたモリーナ。

彼はこの言葉を聴いて、初めて、自分が1人の人間として扱われたことを感じる。

そして決心する。

「この人のために、自分のすべてを捧げよう」と。


この「男と寝るな」は、「本当に愛していない人と寝るな」ということだよね・・・。


バレンティンとモリーナが分かれる前、見つめあうシーンがある。

その時ねずみさんが、母親のような慈愛の溢れた微笑で、バレンティンをじっと見つめる。

相手を丸ごと、自分の愛で包もうとしているカンジがひしひしと伝わって、思わず涙が溢れてしまった。


恋愛って、「無条件の愛」である瞬間があるものだ。

ねずみさんは本当にモリーナになってバレンティンを愛しているんだな・・・。


私がこの作品が好きなのは、「どんなに異質であっても、私たちは人間として、愛し合えるし、理解しあえる」ってメッセージが込められているから・・。

「わかりあえない」は「わかりあえる」のはじまりなんだよね。


映画監督の橋口亮輔さんが、舞台にすばらしいコメントを寄せていた。


人が心に思うことは誰にも止められない。どんな政治家、宗教にも、自由を支配することなど出来ないのだ。今、他者への恐怖から世界中で争いが勃発し、人と人とは決して分かり合えないのだと膝をくじかれる。

話せばわかるというのは嘘だ。話しても分かり合えないことは歴然とある。しかし、他者との対話がなければ本当の夢も生まれないのも事実なのである。


私も当分、このドラマの巣にかかって、抜け出せそうにない。


愛し合うってすばらしい。


舞台「蜘蛛女のキス」