誰もわかってくれない | ここで、そこで、いろんなところで

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日々の生活の中で想う、エッセイ未満のことたち

寝屋川の中学校で事件を起こした少年が、日記に「人間関係が希薄で自分を変えたい」というようなことを書いていたらしい。

ふと、自分の若い頃のことを思い出した。

私は少しヘンな子で、小学生のころからテレビの「洋画劇場」が大好きで、親と一緒に古い映画を観ていたし、NHKの大河ドラマも大好きだった。
「新・平家物語」など、今でもよく覚えている。
その頃はやっていたアニメなどにはあまり興味がなかった。
そういう子供だったので、以前から友達と話が合わないところがあった。
それでも、小学生の頃はナントカ一見フツーにやっていたのだ。

中学になったらビートルズに目覚め(そのころはとっくに解散していたけれど)ロックに目覚め、パンクやレゲエを聞いていた。
萩尾望都さんの漫画も大好きだった。
そういう中学生だったので、やはり友達とはあまり話が合わず、ありきたりな会話は出来ても、深い付き合いなど出来ない状態だった。

自我にも目覚め、精神的にも不安定だったし、常に孤独だったし、誰も私のことを分かってくれないと思っていた。
あの頃の私を知っている友人は「あなたは自分を持っている子だった」と言う。
いわゆる「個性的な子」だったのかもしれない。
でも、個性的というのは人と違うのだから、孤独なのだ。
人と共通点がたくさんあるという事は、個性的ではないけれど、安心感はある。

誰も分かってくれないのも当たり前。
自分以上に自分のことをわかってくれる人間など、いるハズがないのだ。
そのことに気付くのに私は随分と時間がかかった。
最近になって「自分という孤独」を受け入れられるようになった気がする。
それは今だからわかることであって、あの頃はただただ「どうして自分はこんなに寂しいのだろうか」と思っていた。

事件を起こした子は中学の後半から不登校になったという。
おとなしい子だったというから、目立たなかったのだろうか。
「目立たない」というのも、ある種の個性のようなもんだ。

孤独だったのかな・・。
寂しかったのかな・・。
こんな孤独な世界をなぜ生き続けなくちゃいけないのか、いっそのことめちゃめちゃにしちゃえと思ったのかな・・。

彼がどういう気持ちで事件を起こしたかなんて誰も分からない。

でも彼は、これからの人生、罪を償いながら「自分の孤独」と向き合っていかなくてはいけない。
誰も分かってくれない自分と向き合いながら・・。