「おじいさん、長生きしんしゃいよ」
秋月雁さんが「サラサーテの盤」で呟いたこの台詞は、演劇人でありながら観劇数が極度に少ない僕が観た、それでも数多い演劇の中で一番小さく囁かれた、そして一番会場に大きく響き渡った台詞だった。
以来僕は大人にも子供にも演劇を教える時に「声が通るというのは声量の事ではない。お客さんが身を乗り出して君の声を聴きたいかどうかだ。声が通るという事は役者の魅力の事だ」と教えている。
稽古の帰り道に電車で隣り合わせに座って雁さんに「サラサーテの盤」の台詞の感想を熱く述べると、困ったように照れ笑いをしながら(本当に困ってたのかも知れない)「あれは初演の南勝さんの演技をコピーしただけやねん。南勝さんの衝撃はそんなもんじゃなかったよ」と、御自身が衝撃を受けた観劇の思い出を静かに言葉少なめに熱く語らはった。
今公演の打ち上げで
「自分の声も、間も、立ち振る舞いも、役に対する考え方も全部嫌いやねん。いつも皆の役作りの足を引っ張っててな…」
と静かに困ったように話す姿を見ながら、この人は陽が差し込んだら目を細めるように、息を吸ったら次は吐くように、明日の予定が舞台ならばそのまま舞台に向かう…何だろう…背負うのではなく、御自身の隣に「演技」がいつだって寄り添ってる名プレイヤーなんだと思った。
僕は今回、齢44のおっさんになって、尊敬から近くでビールを飲めない。隣に座れない。打ち上げまでガッツリ話せない。などという思春期のような感覚が自分に残ってるなんて思いもしなかった。
まさか風船恐怖症という共通の意識があったのは驚きで、くじら企画さんの公演ではずっと小道具を担当されてたという、演劇での環境が同じだった事が、びっくりと嬉しさのカフェオレだった。
小道具製作あるあるを話し合いながら、雁さんの小道具製作の思い出を聞く。
知識がなくてゼロから発想して素材を無駄にしまくった話。
家の隅に段々積み重なっていく、余った材料たち。
こだわり抜いて細部まで塗装した絶妙な色など、舞台の照明の中では何の効果も示さなかった無念。
最も思い入れと丹精込めて作った小道具が作品上数秒しか使われなかったガッカリ感。などなど。
眉毛をハの字にしながら製作の苦労を語り尽くした最後にあごひげをモジモジと弄って
「それでも作ったもんを持っていって大竹野くんが[こんな小道具作ってくださったんですか!ありがとうございます!]て喜んでくれるとな、嬉しくてやっぱりまた作ろうて思っちゃうねんなぁ」と、いつもと同じ、少し困ったような照れたような笑顔で呟かれた。
雁さんという存在は通り過ぎる。