前回「貴船神社のご祭神や創建」についてまとめました。
今回は平安期以降の歴史で、個人的に興味があったものを記録しておきます。

 

◇貴船神社(きふねじんじゃ)
<朝廷からの信仰~黒馬と白馬~>
貴船神社の御祭神は水の供給を司る神。


そのため古くから祈雨止雨の神として朝廷の崇敬が篤く、

長雨や日照りの度に天皇が勅使を遣わしていました。

 

文献に初めて出てくるのは、弘仁9年(818)。
嵯峨天皇が降雨祈願で勅使を遣わしています。

 

「七月丙申遣ニ使山城國貴布禰󠄀神社大和国龍穴等処一祈雨也」(日本紀略・日本後記)

 

その翌年には、白馬を献じ止雨の儀が行われています。
以後、日照りには黒馬長雨には白馬又は赤馬を奉って天候の安定が祈られました。

 

(この生馬=神馬を神に捧げて祈願する行為は、のちに絵馬へと繋がっていきます)

 

それに由来する神事が3月9日の「雨乞祭」


「雨たもれ、雨たもれ、雲に掛かれ、鳴神じゃあ」

と太鼓、鈴、鉦ではやしたて、ご神水を散水します。


雨乞いという名ではありますが、農作業を始める時節を前にして、安定した天候と五穀豊穣を祈る祭りです。

 


また祈雨止雨以外にも、凶作や疫病といった国事多難克服のための信仰も厚かったようです。

 

弘安9年(1286)には、亀山上皇が国事多難克服のため行幸しています。

寛永6年(1629)には、三代将軍徳川家光の疱瘡平癒の御祓いが行われ、

乳母・春日野局がお礼参拝しています。

 

この記録をみて初めて知ったのですが、家光は疱瘡(天然痘)にかかっていたのですね。
知らなかった~。

 

そして、よしながふみ氏の「大奥」←あのドラマ化した漫画 と繋がった~(`・ω・´)b
「大奥」の世界の中で流行した疫病・赤面疱瘡を家光(本物)も患って死亡していますものね。

 

男女逆転大奥という設定はSFとしていますが、江戸時代の有名な出来事や文献・記録に文化・風習等も存分に組み込まれていて、私的に大好きな漫画の一つです。

 

ちなみに幕末に天然痘の治療に貢献したのが蘭学者・緒方洪庵。
彼の適塾での教え子には、新選組・土方歳三と共に函館まで戦い抜いた大鳥圭介など、歴史に名を刻んだ人が多数います。
(他にも福沢諭吉とか有名な人はいるのですが、ここは大鳥さんにこだわりたい私w)

 

 

<本宮と水占みくじ>
・・・話を戻して。

 

貴船神社は最近では縁結びのパワースポットとして人気です。
(縁結びを祈願したい方は、結社のイワナガヒメにご挨拶にいきましょう)

 

だがしかし!

 

雨女の私としたら、ぜひともご祭神・高龗神(たかおかみのかみ)の加護を頂きたいところ。
にもかかわらず、白馬の(かわいい)お守りがなかったのです。


残念orz

 

縁結び系はいっぱいあったのになぁ。

そっちの方が売れるんだろうなぁ・・・

 

ということで御朱印をいただいて、「水占みくじ」を引いてきました。
本宮社殿前にある御神水に神を浮かべると、おみくじの内容が浮き出てきます。

 

しかも外国人向けに翻訳機能付き。
QRコードを読み取ると、四か国語に翻訳してくれます。

 

▽本宮へ続く鳥居

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▽境内には七夕飾り

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▽本宮

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▽水占みくじ

水につけると文字が浮かび上がります。

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<奥宮と龍穴>

さて、前回書きましたが
もともとタマヨリヒメが黄船で到着し水神を祀ったのは奥宮でした。

 

なので黄船を石で覆い隠したと伝えられる「船形岩」も奥宮の近くにあります。

 

永承元年(1046)出水のため奥宮の社殿が流損。
天喜3年(1055)現在地に本宮を創建し、元の地を奥宮としました。

 

この奥宮本殿の真下には、龍穴(りゅうけつ)があります。
大和の室生龍穴や岡山備前の龍穴と共に日本三大龍穴のひとつとされています。

 

この龍穴にまつわる伝説がこちら。

 

『文久年間(1861~64)に行われた奥宮本殿修理。

この時大工が龍穴に誤ってノミを落としてしまいました。
すると俄かに嵐が起こり、ノミは空中に吹上げ屋根に戻されました。
大工は程なくして命を落としたてしまったといいます。』

 

この工事は上賀茂神社も社殿造営・建物修理をしていた文久3年(1863)のことだろうとされています。
※明治以前、貴船神社は「賀茂別雷神社(上賀茂神社)の摂社」とされてきました。

 

文久3年といえば、浪士組(後の新選組)が京に上洛した年じゃないですかっ!←

この伝説はそんなに古くないんですね。

 

▽奥宮へ続く最初の鳥居

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▽神門

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▽拝殿

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▽本殿

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<奥宮本殿の解体修理>
さてこの奥宮本殿は、平成24年に150年ぶりの解体修理(使えるものは再利用されています)が行われています。


貴船神社によると、この修理される前の本殿は

おそらく天保10年(1840)より以前に建てられたものであるとのこと。

 

京都東山の「東福寺」近くに、「瀧尾(たきお)神社」という神社があります。
創建年代は不詳ですが、下村家(現在の大丸百貨店)が今も崇敬する神社として知られています。

 

その神社の本殿について、天保10年に下村家によって「北山貴船奥院御社旧殿を移築改築した」と同社の記録に残されているからです。

 

なお瀧尾神社の本殿は、現在の奥宮と寸分違わず同じらしいです。
くっ、自分の目で見比べたい~!!!

 

京都に住んでいた時、たぶん近くをうろうろしていたんだよね。
だってこの近所に住んでたもん。
当時はネットがまだ普及していなかったとはいえ!
情報不足だったんだとはいえ!!
毎度のことながら、悔やまれる~orz

 

 

<附曳神事(ふびきしんじ)
平成24年の解体修理の行程は

 

1)浄闇の中、仮殿に神御をお遷しする「仮殿遷座祭」
2)本殿を東の権地(ごんち)に曳き遷す「附曳神事」

※権地は上の本殿の写真、右側に写っていますよ
3)解体作業、木工工事
4)本殿を元の場所に曳き遷し、御神体をお戻しする「本殿遷座祭」

 

の順で行われました。

 

「附曳神事」は、古くから伝わる特殊神事ですが、古文書への記録が少なかったようです。
今回の解体修理で貴船神社の方々も随分古文書を紐解かれたご様子。

 

こういった神事は一般公開されることは少ないと思います。
ですが貴船神社では、後世に残すためこの附曳神事を一般公開するとともに、

facebookを中心にその内容を公開されています。

 

こういった取り組みをはじめ、水占みくじの翻訳機能といい、SNSの活用といい。
貴船神社は時代の流れをうまく活用しつつ未来を見ている神社、という印象を持ちました。

 

(そのため情報量が多く、私のブログ記事も長くなっておりますが…)


さて、この附曳神事では、絶対に守らなければならないことがあるそうです。

 

それは、奉仕員・参列員、境内にいるすべての人間は、

一切言葉というか声そのもの、「音」を発してはならないということ。


特に、かつて貴船神社の社家の筆頭として権威を持っていた「舌(ぜつ)家」の人間は、絶対にしゃべってはいけないと厳しく云われていたそうです。

 

ムムッ。
これは意外に難しいルールですよ(; ・`д・´)

 

で、物理的に口を開けないようにするため、神事では終始「榊の葉」をくわえておくそうです。

 

うん、これならなんとかなりそう(`・ω・´)b

 

 

<舌家>
さて、ここで気になるワード「舌(ぜつ)家」。

舌(ぜつ)という苗字は非常に珍しいですよね。


ということで、ちょいとわかったことをメモしておきますφ(..)

 

舌家は貴船神社の社家の筆頭です。

 

「社家は舌家の他に願・鳥居・藤田・山本・小林・畑などの家があり、

江戸初期の村内40戸中、その3分の1を占めていた。
この社家は左座と右座に分かれ、舌家は左座の筆頭を占めた。」(貴船神社SNSより引用)

 

願、なんていう苗字もあったのね!?
変わった苗字、憧れるわ~(●´ω`●)

 

 

貴船神社は、上賀茂神社とは寛永12年(1635)以来、

領地を巡って300年に渡る訴訟が続いていました。

 

舌家はこの訴訟でも先頭にたって争っていたようです。
中でも「舌 左司馬(ぜつ さじま)」の活躍は特筆すべきことだったとのこと。

 

 

社人・舌宗富により宝暦4年(1754)以降記されたとされる「黄船社秘書」。
これによると舌家の祖先は仏国童子(牛鬼)とされます。


丑の年の丑の月の丑の日、

貴船明神が貴船山中腹の鏡岩に降臨(創建伝説1)した時、
お供をしていたのが仏国童子(牛鬼)でした。

 

この仏国童子、とってもおしゃべりだったみたいです。

 

神界の秘め事もペラペラ他言しちゃうから、貴船明神は激おこ。
その舌を八つ裂きに処したうえ、貴船を追放。

 

仏国童子は吉野の山に逃げて、子分も従えます。

 

でも程なく帰ってきて、鏡岩の陰に「屈んで」こっそり謹慎していました。←かわいいなw
で、貴船明神にようやく許してもらいます。

 

舌家では、この鏡岩を「屈岩」と書いて伝えています。

 

 

また仏国童子はとってもいたずらっ子だったようで…

 

仏国童子:貴船明神の弓を折る。

貴船明神:怒。お仕置きとして、童子の手を鉄のクサリ七筋で括る。

仏国童子:引きちぎる!

貴船明神:お仕置きし直し。大石を背骨に掛け置く。

仏国童子:苦ともしない!

貴船明神:心を痛める(´-ω-`)

 

…貴船明神が、いたずら好きな男児に悩まされる母親のようだなw

 

この仏国童子は一日三升三合の食べ物を食べ130歳まで生きます。
が、カミナリに打たれて死亡。

 

もちろん子供もいました。


二代目・僧国童子
三代目・法国童子
四代目・安国童子
と子孫が続きます。

 

この四代目まで鬼の形をしていました。
五代目からは普通の人の形となり、子孫代々貴船明神に仕えます。

 

で、祖先を忘れないように名を「舌」と名乗りました。
そして家紋は「細菱に八文字」


菱印◇に八の字が入ったものです。

◇は口(くち)、八は八つ裂きの意味。

 

※他にも意味があるそうです。

舌家についてより詳しく細かく知りたい方は貴船神社のfacebookをご覧ください。

 

 

ということで、他にも御伽草子ネタもあったのですが、

力尽きたので貴船編はここまでとします。

 

「節分の豆まきの起源は貴船神社」という内容の御伽草子。

ご興味あるかたは貴船神社のHPからご覧ください。

 

先に言っておきます。

 

長いです。

結構、長いです。

 

いや、私のブログも長いんですけどもね←

 

 

次に貴船に行った折は、川床でご飯たべて、岩もチェックしてこようと思います(*´▽`*)

それでは、また~!

 

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貴船神社

住所:京都市左京区鞍馬貴船町180

HP:http://kifunejinja.jp/index.html

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<おわり>