『燃えろ!新日本プロレス エクストラ』猪木vsアリ伝説の異種格闘技戦! | 新・迷って、悩んで、でも笑ったりもして…。

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不惑の40代などと言うものの、40代になってから「踏んだり蹴ったり」、「弱り目に祟り目」な日々…。
あれから幾年過ぎ、日々の一喜一憂を好き勝手にほざいてる次第です。

本日、初めて『燃えろ!新日本プロレス』というDVDムックを購入。
それは、「猪木vsアリ伝説の異種格闘技戦!」という、今から38年前の今日、アントニオ猪木とモハメッド・アリの異種格闘技戦が行なわれたことを記念して、商品化及び再放送がなかったあの試合をノーカット・フル収録した映像が収めらたもの。
『燃えろ!新日本プロレス』エクストラ
試合だけでなく、記者会見や調印式、インタビュー、等の試合前の舌戦も、丸々1枚ディスク化してある。(計2枚収録)

意外や、この1枚目の両者のかけひき、罵り合い、インタビューが面白い。
真剣勝負を持ちかけられていると思っていないアリのウルトラ・リップ・サービスの嵐と猪木の「何としてもこの試合を実現させたい」ための感情の起伏、両者の対比が興味深く映った。
また、活字で当時の成り行きやデータもあるので、勝負はリング内よりも試合実現にたどり着くまでの戦いの方が大変だったろうと思えるくらいだ。
試合当日の朝まで(試合は午前10時30分開始だった!)両者の間でルールの変更の交渉が行なわれていたそうだ。
当初の記者会見では、ニコニコ、ニヤニヤしながらアリの挑発をかわしていた猪木が、調印式では、笑みは一切無く、自らマイクを取り上げ、アリ側のルール変更要求等に耐え続けたことを暴露し、アリ周りの輩たちではなく、アリ自身にファイトマネーと興行収益を勝者総取りの賞金マッチにしてもいいから、ここで互いにサインしようと掟破りの攻撃を見せる猪木がカッコいい!!
そうだよな、猪木はカッコ良かったんだ。
長いこと、すっかり忘れていた気がする…。(苦笑)
また、日本に到着したアリを空港で待ち受けるマスコミの凄さが、リアルに伝わる映像も見もの、いや聞きものかも。

試合に関しては、3年前の今日にも記したが、アリの足へのローキックで15ラウンド戦い抜く猪木、そして足にキックなど受けたことのないボクサーとしてアリ、この両者の体力と精神力はスゴイと今になってつくづく思う。
1976年当時は、異種格闘技などまだ無いわけだし、前述の通り、ルールが当日になってもまだ決めているような状態では、リアルタイムで観た人はわけがわかららんだろうし、消化不良だったろう。
実際、私もテレビで親や当時親の仕事場に来ていた大人たちと観たが、「何だ?こりゃ!」とか「チョンボだろ、こりゃ!」、「つまんねぇなー」と大人たちが言うのを聞いて、「ウン、ウン」と頷いていたのを覚えている。
それでも、完全ノーカットで通してみると、意外と見通せるし、ルール問題の件や両者の思惑も知って観ると見所はあるものだと感じた。
そんな状況で裁いたレフェリーのジン・ラベール氏が当然訳が判らない部分がつきまとう中で毅然とレフェリングしているのに好感が持てた。

余談だが、花束贈呈とラウンドガールが山本ゆかり(山本由香利)だったのね。(DVDでは顔がぼやかせてあるが認識できる。)
山本ゆかり
もうお一方いるのだが、モモレンジャーを演じた小牧りささんという方だそうです。

試合が終わったあとは、泥沼の金銭国際法廷での戦いとなってしまう。
しかし、新日本側の和解をアリ本人が飲んで、この問題に終止符を打ったそうだ。
アリは帰国後マスコミには「あれはお遊び」と言ってのけたが、猪木には「あんなに怖い試合はなかった」と吐露したそうだ。
実際、アリは猪木をリスペクトし、自分のテーマ曲「アリ・ボンバ・イェ」をあげ、猪木のテーマ「炎のファイター」になったのは有名だ。
他にも、猪木の執拗な足攻めにより血栓症となり入院し、病院のベッドに臥しているという唯一自身が弱っている写真を撮らして公開した。
アリ入院

その後も2人の友情は変わることなく今も続いている。